だが、情熱は人生を何歳からでもひっくり返してくれる。本を出したいと思ったら出版活動に駆け回り、今は商業出版として4冊目の本を書いている。人前で話してみたいと考えて画策していたら、自主セミナーや講演に呼ばれるようになった。

「これもあれもやってみたい」と年甲斐もなく次々とやってみたくなり、そして実現するまで何年も粘り強くやり続けられたのは「絶対に実現したい!」という情熱のおかげだと思っている。

やりたいことに年齢は関係ない

人がやりたいと感じる挑戦に年齢は関係がない。

筆者は仕事で英語を教えているが、教え子の中には60代で英検1級を取得した後、学校で英語教師の仕事を獲得した人もいる。また、定年退職後に英語を勉強してインバウンド外国人にガイドをする仕事をフリーで始めた人もいる。彼らは本当にすごいと思わされる。ずっと英語と異文化交流が好きで、60歳を超えてそこから夢を叶えているのだ。

「大学生の頃は楽しかったな。また必死に勉強がしたい」と思えば、40代でも50代でもいいから行きたい大学に行けばいい。楽器の演奏に憧れたら、音楽教室で好きな曲を演奏してみればいい。

少しばかりのお金、時間、そして健康があるなら、人は何歳からなんにでも挑戦できる。

情熱がないとFIREしても辛いだけ

理想の環境が揃っていても「情熱」がなければ何も始まらない。昨今、FIREが非常に流行っているが本当に矛盾を感じる。

一生分どころか、二生分、三生分の必要資金をビジネスで稼ぎ出すようなビジネスマンは仕事が楽しくてFIREなんて考えないし、1秒も働きたくない人ほどFIREの背中が遠くてなかなか蓄財が進まないという意味である。

仮に働きたくない人がFIREしたら、今度は生きがい不足に困ることになるだろう。FIREはあくまで手段であり、その先にやりたいなにかがなければ圧倒的な暇に押しつぶされてしまうのだ。

情熱は生まれつきの才能のように感じられるし、実際「程度」は人によって決まってしまうと思う。しかし、人は誰しも知的好奇心や形は違えど願望を持って生まれてくる。その願望の実現可能性を信じることができた時、ほとばしる情熱を見ることができるだろう。