ただし、宗教が「道徳や科学で判断できない問題」に決着をつけた場合、それを第三者が検証することはできません。なぜならば、決着と言っても、本人の内面で決着したにすぎないからです。宗教の基本は「信じる者は救われる」ということなので、本人が決着したと信じれば決着したことになるのです。
個人のレベルでは安楽死の是非の判断に宗教は大きく影響します。しかし、現代の民主主義の国では、宗教を信じる信じないは個人の自由であり、またどの宗教を信じるかも個人の自由です。そのため、国のレベルでは、宗教を安楽死の是非の判断材料にするべきではありません。したがって、安楽死の国レベルの議論は道徳や科学の観点で行われるべきです。しかし、それでは議論が平行線をたどり決着がつきません。そのため、十分に議論した後に多数決で決めるしかなくなります。