黒坂岳央です。

世界人口78億人の民、全員が共通で望んでいることがあるとすればそれは「幸せになりたい」ということではないだろうか。問題はその幸福論が人それぞれものさしや価値観が違うということである。

自分なりにたどり着いた幸福の哲学の答えの一つが「足し算ではなく、引き算で掴む」というものである。本稿でこれを論じたい。

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「幸福に慣れる」という不幸

人は往々にして、あっという間に感謝を忘れて「ありがとう」が「当たり前」になってしまうやっかいな機能性がある。

就活や転職では自ら希望して応募し給与を得ているのに、いつしかお給料や福利厚生はあって当たり前という感覚になり、「安月給で働かせている!」「自分は働きに見合った給与を得ていない!」と言い出す。自分もえらそうなことはいえず、昔はそう思っていた時期もあった。

人は幸福にはあっという間に慣れてしまい、感謝を忘れてしまう。そうなれば今度は悪い面ばかりがクローズアップされてしまうものだ。つまり、意識的に幸福を考えなければ誰しもが「幸福に慣れる」という不幸が始まることになる。

爪の先に火を灯す努力で100万円を貯金したら、今後は200万円、やがて1000万円を貯金しても次々と目標が出てくるのでキリがなく、「他の人はもっと持っている。自分はそれに比べて少ない」と悪い面を見るようになる。1つ目の幸福に慣れたら次は2つ目、3つ目の幸福を求める旅へと出かける。しかし、ユートピアは世の中にはない。待ち受けるのは第2、第3の確実な慣れである。

そう、幸福を増やそうとする足し算の発想では、恒久的な幸せを掴むことは出来ないと思うのだ。