ドイツ国民の中には、オーストリアからきたセルナー氏の姿にアドルフ・ヒトラーの亡霊を感じた人々もいたかもしれない。ちなみに、ヒトラーはオーストリア人だ。画家の道を目指したが、ウィーンの美術学校の入学試験に落ちたためにドイツに行った。そしてヒトラーが率いるナチス政権が後日、オーストリアを併合したために、オーストリアは一時的だが消滅した。

ドイツはオーストリアから来たヒトラーが主導したナチス政権が発足し、第2次世界大戦では戦争犯罪国というレッテルを貼られる国となった。そのヒトラーの国から今度は極右運動の指導者セルナー氏がポツダム近郊の会議でヒトラーが夢見ていた「マダガスカル計画」の現代版を提言したのだ。ドイツ国民が寒い冬にも拘わらず、路上の反AfD抗議デモに出てきた背後には、「ドイツは“いつか来た道”を行こうとしている」といった危機感があるからかもしれない。

ドイツでは現在、AfD禁止問題が大きなテーマとなっている。元憲法判事リュッベ=ヴォルフ氏は、「ドイツではAfDの禁止問題は常に、『もしNSDAP(国民社会主義ドイツ労働者党=ナチス)が禁止されていたらヒトラーの台頭は防ぐことができたのではないか』といった歴史的懺悔とリンクされる傾向が強い」という。NSDAPは1923年のヒトラー一揆後に一時的に禁止されたが、ヒトラーの台頭を防ぐことが出来なかった。それに対し,リュッぺ=ヴォルフ氏は、「法的力が不足していたのではなく、この党を阻止するという政治的意志が欠けていたからだ」と指摘している。

欧州の政界では右傾化が話題となっている。そのパイオニア的役割を果たしたのはオーストリアのイェルク・ハイダー氏だ。同氏が率いる極右政党「自由党」が2000年、保守派政党「国民党」を担ぎ出して政権に参加したことが欧州極右政党が起こした最初の衝撃だった。欧州諸国は当時、自由党が参画したシュッセル連立政権の発足を受け、オーストリアとの外交関係を中断する制裁を実施したことはまだ記憶に新しい。

オーストリアでは今年、議会の総選挙が実施されるが、複数の世論調査では自由党が支持率30%前後を獲得し、第1位を独走している。欧州の極右政党で総選挙で第1党、支持率30%を獲得できる政党は現時点でオーストリアの自由党しかない。オーストリアの極右政党は文字通り一歩先行している。それゆえに、ウィーンから聞こえてくる極右の足音にドイツの政界、国民は困惑と不安を感じ出しているのだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年1月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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