30年前、アメリカ人の多くが日本を脅威だと感じていたとすれば、もはやそのような気持ちは、アメリカ人の心にはほとんど存在していないだろう。中国の脅威を和らげてくれる西太平洋に浮かぶ同盟国であるはずだ。

日米同盟堅持の観点からは、この意識変化は悪い事ではない。そのため日本の外交政策は、ある意味で冷戦時代よりもあからさまに日米同盟一本押しの仕組みになった。かつて冷戦時代には、建前と本音のような仕組みの中で、必要悪として日米同盟が理解されていた面があった。今日では、埋没し続ける自国の国力を補うために、中国などの脅威に対抗するために、日米同盟を肯定的に捉えようとする気運が高まったと言えるように思われる。

だが、だからといって、日本が「西洋文明」の一部になったと本気で考える者は少ないだろう。地政学的事情をふまえた国際政治の論理から日米同盟を重視し、それにともなった政治経済、あるいは文化面の連携を深めている。しかしその連携が「文明」といった言葉で括られるような域にまで達したと感じている者は、少ないだろう。

仮に日本が、ハンチントンが考えたように、一つの単独の文明を持つとすれば、その文明の存在感は、21世紀に入って、日々、減少している。

経済の停滞が常態化する中、日本は遂に人口激減の時代に突入した。中国など他のアジア諸国も人口減少時代を迎えるはずだが、先駆ける日本の人口減少のペースは、事前のあらゆる予想を覆す急激なものだ。

人口減少に歯止めをかけるための政策は重要だ。だが、成果が見られる政策実績が何一つない中で、しかも財政出動を必要とする目の前の問題に忙殺されている中で、国力の衰退が今後も長期的に続いていくことに、疑いの余地はない。

少なくとも今世紀を通じては、日本が20世紀末の存在感を取り戻すことができるような可能性はないだろう。それどころか、われわれが知っている一つの文明を持つ日本という国が維持されるのか、消滅してしまうのか、それこそが問われている。