ここで郭氏の言う「分断」とは、【人は個々に違うのだという前提を共有すること】と言い直すことができます。大衆迎合とか同調することに安易に流れるとか、そういうムーブを忌み嫌う姿勢が伺えます。

しかし、アベプラの女性へのAEDの話題は、むしろそれを取り上げることが『過剰な共感とつながりを呼び込んで』いなかっただろうか?

放送後、雨後の筍のように「やっぱり女性へのAEDは危険なんだ。訴えられないと言っていたのはなんなんだったのか?」といった投稿が多数見受けられ、取材元の主張に対する不審点を指摘する者は極少数でした。

出演者のあおちゃんぺ氏が番組側に確認した回答をXに投稿し、どうやら裏付け取材していないとみられるという認識が広がり、衆議院議員の米山隆一氏が警察庁等各所に報告等が上がっているか問うもそのようなものは無かったとXで投稿したことが広まってもなお、何らの留保も無しにアベプラの番組を根拠に不安を煽る投稿が存在しています。

過激な言論と視聴者・読者への騙し行為の行き着く先は

「分断を煽りたい」という文字面それ自体が煽り文句であり、文中の意味は実は一般的な意味とは異なるものだから問題は無いということにしているのでしょうが、このような手法は媒体側が取材先や著者の意向を聞かずに勝手にやることもあります。

自己へ憎悪を向けるレイジベイティングと紙一重であり、ある種、視聴者・読者を騙すことでエンゲージメントを得ようとする行為です。そのせいで著者に被害が生じた例もあります。アベプラのAED回も、こうした考え方が強く働いて製作された疑惑が出てきたのではないでしょうか?

中央公論では「話すハードルを下げる」とも言っていました。*1

番組側のチェックのハードルまで下げてはいけないでしょう。

*1:(2ページ目)「言論」「討論」ではハードルが高い…”参加資格”を広げて、もっと多くの人がしゃべれるように|文化|中央公論.jp