議員の給与も住民の税金が源泉でありその上、選挙というプロセスを通じて選べられるわけですからこれまた広く住民には丁寧に接していかねばなりません。
私から見れば議員や公務員は商売人より平身低頭にならざるを得ない気がするのです。江戸時代、士農工商という身分制度では「士」は偉かったのですが、その背景はお国を護るという任務があり、決して好かれたわけではないにしろ、「士」があってのお国であり、時として農民が戦いに駆り出されるような仕組みでした。ところが現代社会を見ると「商工農士」、つまり順番がさかさまになったという気すらするのです。
役人や議員のやりづらいところの一つは業務の透明性があります。一挙手一投足なにかにつけてみられ、コメントされてしまいます。その場合、「君たちのやっていることは正しいのか?」という弾圧が起こりやすいとも言えます。現代社会はSNSを通じて発言者は自分をさほど開示しなくても相手のことは徹底的に責め立てることが容易になりました。責め立てる理由も理路整然としたものもありますが、噂話や話を想像して膨らませたものまでさまざまです。またストレス解消的な軽いノリの方もいらっしゃいます。責め立てられた時に不正確な事実に基づく話の対応を含め、精神的な重圧に耐えられるか、といえばよほどの精神力の持ち主かそういうことに慣れている方以外は厳しいと思います。
私から見れば公務員はかつての「給与は安いけれどクビにならないし定時に帰れるからワークライフバランスには最適」といううたい文句はもう通じなくなると思います。事実、学校の先生のなり手は激減しています。サーバントがサーバントの業務領域を超えてしまうとだれも公僕になどなりたくないわけで、社会の構造が崩れてしまうリスクを抱えているとも言えないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年1月21日の記事より転載させていただきました。