これは地下鉄「東京メトロ日比谷線」の話だ。

 日比谷線は戦後に開通した路線である。日比谷、六本木などを繋ぐことから、軍用地下壕のイメージがあるがその歴史は定かではない。一時は地下鉄の謎や戦後のM資金の隠し場所があるなど都市伝説がブームになったが、どんな話もサブカル認定されるだけで真実は誰にもわからない。

 鉄道ファンの星野さんが話し始めた。

「この日比谷線ですよ。駅は特定しにくいですが、『町』が付く駅名(人形町、小伝馬町、茅場町、神谷町)ですね。非常に狭い天井も低いホームというのが特徴です。ホームに監視カメラがあるでしょ。それ、ホームからも見えますよね。ホームのテレビモニター、あれに黒い影が映るんですよ。じーっと見ててくださいよ。黒い影が立ち止まってて、ラッシュで人がわーっと流れているのに、立ったまんまの人がいるんです。でね、気になってそれを見ていたら、その黒い影がね、自分の目の前に立つんですって。いきなり目の前に、ただ真っ黒の人影が立つそうなんです」

 筆者、鉄道怪談探偵である一銀は現場に行ってみた。  人影はモニターには見えなかったが、ホームの先が黒く見えることはあった。地下鉄は大きなトンネルと同じだから、トンネルの暗さが映っているのだと思った。

 この角度からはそのトンネル内までは見えないはずだが……。

駅名に“町”がつくホームの監視カメラに出没!? 日比谷線のホームに出現する「真っ黒い人影」とは?
(画像=イメージ画像:写真ACより,『TOCANA』より 引用)

 気分が悪くなり目をそらした。一瞬だが目の前に黒い影が立つように真っ暗になった。これは立ち眩みだろうか。いや、これがあの「目の前に立つ黒い影」なのではないだろうか?いずれにしても、この深い穴に、おぞましい怨念が立ちこめているようだ。

■史上最悪の鉄道テロの現場

駅名に“町”がつくホームの監視カメラに出没!? 日比谷線のホームに出現する「真っ黒い人影」とは?
(画像=イメージ画像:写真ACより,『TOCANA』より 引用)

 この路線で思い出す大事件といえば「地下鉄サリン事件」だろう。1995年3月20日にオウム真理教教団の数名が、地下鉄丸の内線や千代田線、日比谷線でサリンをまき散らし、死者、重軽症者多数を出した。今も重度後遺症で治療する人も多数、まさに呪われた路線となっている。日比谷線では上下線で犯行が行われた。

 犯行の動機は霞が関の役人による教団への強制捜査から逃れるため。そして半密室の地下鉄でサリンをまけば、世間に大打撃を与えられると思った、とのちに語られている。

 犯人は日比谷線の上下線にサリンを入れた容器を持ち込んだうえに傘で突っつき、車内にサリンを蔓延させたが、一人の乗客が気づき小伝馬町でその容器をホームに蹴り出したという。だが、その列車内に残ったサリン液が車両の乗客を苦しめて八丁堀駅でパニックとなり、最後に築地駅ではホームに乗客が雪崩れ込むように倒れた。その映像がいわゆるサリン事件で倒れた人々の映像として今日も流れている。

 築地の外に脱出した乗客もその場で倒れ、近くの聖路加病院で手当てを受けた。すぐそばにある築地本願寺も退避場所として使用された。また、神谷町駅でも同じく地上出口に倒れた人が溢れていた。

 特に日比谷線での被害が拡大した理由には、前述の小伝馬町駅で乗客がプラットホームにサリン容器を蹴り出したことに起因しているといわれている。築地駅ホームでの異常な乗客の倒れ方を見た駅員が指令センターに『3両目から白煙が出て乗客が倒れている』と伝えたため「築地駅で爆発事故」と誤認され、そのため各駅に電車が止まってしまった。後続の5列車は小伝馬町で立ち往生した。ネット記事によれば、よりによって小伝馬町で2列車が運行をやめており、狭いホームに降りた乗客が、置かれたままの容器からサリンを吸う羽目になってしまったというのだ。地下鉄の風圧での拡散もあり、3列車も被害があった。計6列車が被害を受け、8人死亡、2475人が重症を負った。こうして本事件で最も被害の多い路線となってしまったのだ。

 そのサリン列車はもうすでに廃車となっている。