一人のロシア人が「自分はナワリヌイ氏の政治信条には同意できないが、同氏がドイツで治療を受けた後、再びモスクワに戻ったその決意には尊敬せざるを得ない。彼はモスクワに戻れば死が待っていることを知っていたはずだ」と述べていた。
当方は60万人のイスラエルの民を率いて神の約束の地カナンに向かったモーセの生き方に強い関心がある。エジプトのファラオ(王)の王子として成長したモーセは奴隷となって酷使されているイスラエルの民をみて心を痛める。ある日、奴隷のイスラエル人を殴打するエジプトの兵士を見て激怒し、その兵士を殺害する。そのことが伝わり、モーセは王宮を後にして逃避する。
放浪生活後、ミデヤン人の祭司のイテロの家庭に拾われ、その祭司の娘チッポラと結婚して子供をもうけるが、エジプトに残してきたイスラエルの民を忘れることができないので、エジプトに戻り、ファラオにイスラエルの民の解放を願う。モーセの話は旧約聖書の「出エジプト記」に記述されている。
出エジプトしたイスラエルの民は荒野でさまざまな困難に直面すると、「エジプトに戻りたい。あそこでは飢えることはなかった」と嘆く。それに対し、モーセは民の不信に激怒しながらも、エジプトからイスラエルの民を導いた神に問いかけるシーンがある。
一人のラビが言っていた事を思い出す。「イスラエルの民は奴隷の身から解放されたが、『自由』の価値を知り、それを経験した者はいなかった。一方、モーセはエジプト時代、王子として自由を享受できる立場にあった。彼は自由を体験していた。荒野での試練に対して、モーセとイスラエルの民の反応が異なったのは、その自由体験の有無だ」という趣旨を述べていた。
ロシア国民はモーセ時代のイスラエルの民と同じように、自由を体験していない。そのような中でもナワリヌイ氏のように「自由」を求めて立ち上がるロシア人が出てきた。
ナワリヌイ氏はその強い意志力もあったが、自由を体験している。毒薬で殺害されそうになり、ドイツの病院で治療を受けたが、そのドイツ治療時代は同氏にとって自由だったはずだ。同氏は治療が終わるとモスクワに戻っていった。ちょうど、モーセがエジプトから荒野路程の生き方を選んだようにだ。自由を一度でも味わった人はそれを奪われると激しい抵抗をする。自由のために自身の命すら捨てることを厭わなくなるものだ。
ゴルバチョフ大統領時代、外交問題の顧問チームの一員だったジプコ氏は、「ゴルバチョフ時代、共産党政治局員会議ではメンバー間で論争があったが、プーチン氏の時代になって、会議はプーチン氏の語る内容を傾聴するだけの場となり、議論があったことは一度もない」という。
部下たちはプーチン氏が語る内容を「然り」と聞くだけで、西側社会では当然の「議論文化」はロシアではゴルバチョフ時代の短い期間を除けば育ったことがないという。民主主義が何かを理解しているロシア国民は少ないのだ(「『自由』はロシア国民を不安にさせる」2023年7月15日参考)。
モーセはカナン入りを目の前にしながら約束の地に足を踏み入れることはできなかった。それを悔いるモーセに対し、妻チッポラは「あなたは入れないが、子供たちがカナンに入るだろう」といって慰めた。ロシア国民に「あなた方が自由を得るためにはポスト・プーチン時代の到来まで待たなければならない」といった慰めは非情だ。
プーチン大統領は7日、通算5期目の新しい任期をスタートさせた、ロシアの憲法上から、プーチン氏は2036年まで現在の地位を維持できる。そのような中、「自由」のために立ち上がるロシア人が出てくるとしたら、そのロシア人は「自由」の価値を知り、体験した人間に違いないはずだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年5月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方ウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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