彗星のごとく一世を風靡し24歳の若さで逝去した伝説のギタリスト、デュアン・オールマンの死に拭い去れない大いなる謎があるという――。
■オールマンは1年間“延命”された?
1969年3月末に正式に結成された「オールマン・ブラザーズ・バンド」のリードギタリストとして活動し、「ローリング・ストーン」誌が選んだ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2003年は第2位、2011年の改訂版では第9位にランク入りしている伝説のギタリスト、デュアン・オールマンの死に“神”の関与が指摘されているという。
オールマン・ブラザーズ・バンドは、1970年代の最も影響力のあるバンドのひとつといわれ、1969年冬の1stアルバム『オールマン・ブラザーズ・バンド』リリースを皮切りにハードスケジュールのツアーで全米各地をめぐり、1970年夏には2ndアルバム『アイドルワイルド・サウス』が発売された。
そんな彼らの存在を不動のものとしたのは、1971年夏に発表されたライブ盤『フィルモア・イースト・ライヴ』で、ライブレコーディングアルバムとして史上最高のものの1つであると今なお称賛されている。
特にこの時期のミュージシャンはアルコールやドラッグの魔の手にかかるケースが多いのだが、残念ながらこのデュアン・オールマンも例外ではなかった。
バンド活動の全盛期の1970年10月29日、テネシー州ナッシュビルでデュアンは深刻な薬物の過剰摂取で病院に運ばれた。デュアンの容体はきわめて悪く、担当医は乗り越えるにはもはや祈るしかないと考えたという。
そうなると、デュアンの家族、友人、バンドメンバーたちは彼の回復をただ祈るしかなかったのだが、その中でもバンドのベーシスト、ベリー・オークリーが全身全霊をかけて彼の無事を祈ったということだ。一説によればベリーは“神”に直接交渉し、音楽活動のためにもせめてあと1年、オールマンの命をつなぎ留めてくれるように直談判したのだという。ベリーは“神と取引き”したということなのかもしれない。
バンドのメンバーでドラマーのブッチ・トラックスはこの時のベリー・オークリーの“神との交渉”の様子を後にインタビューで語っている。
「その時、ベリー・オークリーは神と個人的な契約を結びました。オークリーは、デュアン・オールマンに音楽活動をさせ、夢を成し遂げるために、あともう1年間、時間を与えるよう神に懇願したのです」(ブッチ・トラックス)