代案のある反対意見には価値がある

ここまで厳しい論調で話をしてきたものの、代案が添えられた反対意見には大きな価値があると思っている。もちろん自分自身は、何か反対をする時には代案を出すのはもはや義務と考えている。

たとえば国の政策について言えば、有料レジ袋問題やインボイス制度問題について記事で指摘をしてきたし、今でも同じ意見だ。レジ袋についていえば「買い物の時にマイバッグ持参は面倒だ」しか言えないのは個人の感想を怒りの感情に乗せてぶつけているだけなので、何ら生産性はない。

その一方で、代案を乗せれば傾聴に値する話に変わるだろう。参考までに取り上げてみよう。

日本におけるレジ袋はプラスチック廃棄量のわずか2%しか占めていないため、約8割レジ袋受け取り辞退が起きても全体的な影響度合いは極めて小さい。その一方で、デメリットとしては有料レジ袋施行後に万引き増加や、レジ袋を意識しての買い控えによる消費のマイナスが起きている。これはエコ効果というメリットをデメリットが上回っているのではないか?国は直ちにトータルとしての経済効果の測定を行い、メリットがデメリットを下回る結果が出たなら直ちに政策を修正すべきではないだろうか?

これが代案である。筆者はエコ問題の門外漢につき、内容に誤りがあるかもしれない。専門家が見れば鼻で笑う意見になっている可能性は否定できない。しかし、ただ問題を指摘する、反対するだけなら小学生でもできる。それ故にビジネスでは必ず自分なりの意見やアイデア、代案を出すべきである。

代案なき反対意見はただの愚痴に過ぎない。飲み会の場では話のネタとしてはありかもしれないが、ビジネスの現場で傷の舐め合いはただの時間のムダである。目の前の課題を突破するために必要なのは感想や反対意見ではなく、常にアイデアなのである。

 

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