■そんなに前から避難場所だったのか…

今回の取材に対応してくれたのは、大月町役場の「危機管理室」担当者。

看板が設置された正確な時期は「不明」とのことであった。しかし、件の避難路では2004年度、2012年度にそれぞれ舗装整備等を行っており、その時点では存在が確認できているため、それ以前に設置されたものと考えられる。

「田中さんの畑」が避難場所に制定された経緯について、担当者は「想定される津波高(津波の高さ)より高い位置にあり、ある程度の収容人数が確保できる場所のためです」と、説明していた。

なお、収容可能人数は「約30人」とのことだ。