日本と比較すればが少ない中国大陸だが、16世紀半ばに83万人が犠牲になったマグニチュード8.0以上の大が起きている。この時に得られた貴重な“教訓”は今の中国でまだ受け継がれているのだろうか――。

■83万人の命を奪った華県の“教訓”とは?

 1556年1月23日の早朝、中国の歴史上最も悲惨な日として知られることになる大が起きた。

 華県(かけんじしん)は、陝西省華陰市の華山周辺を襲い83万人の命を奪った巨大であり、時の皇帝、嘉靖(かせい)帝の名にちなんで嘉靖大とも呼ばれている。

 マグニチュード8.0~8.3と推定されるこの大災害は、3つの主要都市を壊滅させ、地域全体に連鎖的な破壊を引き起こした。「Journal of Geophysical Research」に掲載された2020年の研究によると、最も被害を受けたのは華県と渭南(いなん)地域で、によって華山断層と渭南断層が破壊されたことを示す証拠が発見されている。

「Annals provide(年代記)」として知られる当時の歴史文書は、災害中に起こった変化を鮮明に描写している。

「場所によっては、地面が突然隆起して新しい丘が形成されたり、突然沈下して新しい谷が作られたりしました。他の地域では、突然小川が現れたり、地面が開いて新しい峡谷が現れたりしました。小屋、官舎、寺院、城壁が一斉に崩壊しました」(「Annals provide」より)

 83万人という前例のない数の死者は、当時の建築に起因していた。多くの主要都市には高密度で重い石造りの建物があり、の際にそれらの建物が崩壊し、残念ながら多くの人々が圧死した。

 また多くの住民は洞窟を活用して住居にしていたのだが、激しいによってほとんどの洞窟は崩壊したのである。

 の影響は当初の破壊をはるかに超え、本震後6カ月間にわたり余震に見舞われてさらなる被害が発生し、復旧作業が妨げられた。最初の、それに続く地滑り、土石流、火災の組み合わせにより、地域にさまざまなレベルで影響を及ぼす複合的災害となったのである。

 この致命的な大の影響により、この地域の建設慣行に大きな変化がもたらされた。コミュニティは建物に石材を使用することをやめ、に対して耐性のある竹や木材などの材料が採用されることになった。竹や木材はある程度の可動性があり、ショックを吸収してより強い耐性を有する。大から貴重な“教訓”が得られたのである。

83万人が犠牲に…中国の歴史上“最も悲惨な日” 華県の教訓とは?
(画像=Image by Adrian from Pixabay,『TOCANA』より 引用)

 石造りの建物からより耐震性の高い材料への移行は、建築慣行の大きな変化を示し、将来の災害で同レベルの破壊を避けるために地域社会がどのように適応したかを物語っている。中国の都市における建設や都市計画が見直されたのだ。

 500年近く前の華県は学者や歴史学者にとって今も重要な研究対象であり、この地域の地質活動と自然災害に対する人々の対応についての深い洞察が得られるのだが、はたして今の同地域で“教訓”はまだ受け継がれているのだろうか。激甚災害から得られた貴重な“教訓”を色褪せさせてしまってはならないのだろう。

文=仲田しんじ

提供元・TOCANA

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