言語ごとにさまざまな表現があるが、“時間”に関しても日本語を母語とする我々にとっては驚きとしか言いようがない表現が存在するようだ。

 パプアニューギニア北東部に住むユプノ族は自然環境で時間を表現するという特殊な言語を話している。ユプノ族にとって、過去は川の下流にあり、未来は上流の方にあるため、過去について話すときは下流を指し、未来について話すときは上流を指すという。

 さらに興味深いことに、ユプノ族にとって川の流れは単なる時間の流れの比喩ではなく、川がそのまま時間を意味していることだ。川がまっすぐ流れているところでは時間もまっすぐ流れ、川がうねっているところでは時間も同じくうねっていると彼らは考えているという。時間の流れはまっすぐ線型的だというイメージを持つ我々にとっては、直観的に理解することは難しいが、少なくとも時間の流れがまっすぐで等しいというイメージそのものは決して普遍的ではないと言えるだろう。

 環境に基づいて言語表現が規定されている例は他にもある。オーストラリア・ポーンプラーウに住むアボリジニ、クウク・サアヨッレ族は、左右や前後を東西南北で表現することで知られているという。たとえば、「左に曲がる」と言いたい場合、自分が北に向かっているならば「西に曲がる」と言うことになる。また彼らにとって時間は東から西へ流れるものであり、物事の順序もそれに沿った形になる。

 たとえば、カードを並べるよう指示されたクウク・サアヨッレ族の人々は、テーブルがどの向きにあろうと、カードを東から西に向かって並べたという。われわれなら方角に関係なく左から右に並べてしまいそうなものだ。さらに、ある点を今日だと仮定し、明日はどこにあるかと聞かれた場合は、西の方向に点を置いたという。これも我々なら今日の点の右に明日の点を置いてしまいそうなものである。

 そして、時間の概念そのものを持たない人々も存在する。ブラジル・アマゾンのアモンダワ族は、「時間」、「日」、「月」、「年」といった概念を持たないことで知られているという。彼らの言語では数字も4までしかなく、年齢はコミュニティ内での名前の変化で示されるという。

 一体彼らの頭の中がどうなっているのか想像さえできないが、米・ポーツマス大学の言語心理学者クリス・シンハ教授によると、彼らはわれわれと同じように出来事の順序を認識しており、決して「時間のない人々」ではないという。ただ、彼らの言語には出来事から独立した抽象的な時間という概念がないのだという。

 時間は誰にとっても等しいように感じられるが、これほど基本的な概念でも言語によってその認識の仕方が大きく異なっているとは驚きだ。言語の多様性を知ることは、“他者”の存在を知ることにも繋がるかもしれない。

参考:「Mysterious Universe」、ほか

提供元・TOCANA

【関連記事】
初心者が投資を始めるなら、何がおすすめ?
航空機から撮影された「UFO動画」が公開される! “フェニックスの光”に似た奇妙な4つの発光体
有名百貨店・デパートどこの株主優待がおすすめ?
ネッシーは巨大ウナギではない! 統計的調査結果から数学者が正体を予測
積立NISAで月1万円を投資した場合の利益はいくらになる?