世界各地で戦争が起き、その模様がテレビ画面を通じてお茶の間に入ってくる日々が続いている。
どうにも落ち着かない感じがするが、今年を振り返ってみると、昨年との大きな違いはAIが私たちの生活にしっかりと組み込まれたことではないだろうか。
「生成AI」(Generative AI)(機械学習モデルによって、コンテンツを生成する技術)や「ChatGPT」(生成Aの代表的なサービスの一つ。大規模言語モデル=LLM=を活用し、テキストデータを生成)はすっかりお馴染みの言葉となった。かねてから使ってきた言葉である「AI」(Artitficial Intelligence)も、「人口知能」と訳すことなく、単に「AI」というだけで、意味が通じる。
次第に生活に組み込まれ皆さんも、もうすでにだいぶ生成AIを使っていることと思う。
振り返ってみると、そのはるか前の段階として、「履歴情報を使いながら、利用者が選択しそうなアイテムをリストアップする」作業が行われていたことを発見したのは、アマゾンを利用していて、「おすすめリスト」を見た時ではなかったかと思う。
当時は、「よく私が好きなものがわかるなあ」と感心したものだった。「便利だな」とさえ思った。
次の段階として、メールを打つときに「文章やスペルのサジェスチョンが出る」ことを体験した。当初は「うるさいよ」と思ったものだが、今は「助かるよ」に変わった。
筆者がChatGPTをよく使うようになったのは、今年である。きっかけは体調を崩して横たわっていた時だ。自分の体に何が起きているかを知りたくなり、ずばり質問ができるChatGPTに聞いてみた。人間との会話のような答えになるので、「お大事に」と書かれると、慰められた。ほかにもいろいろ聞くようになった。
秋になって、家族が病気になった。病院からの手紙は専門の医療用語でいっぱいだ。ChatGPTでしらみつぶしのように言葉を調べていった。なぜそうなるのか、どうすればいいのかも書かれてあった。