港からペリーロードを抜けてさらに歩いていくと了仙寺にたどり着きます。ペリーらの応接所となった場所で、箱館調査に行く際の拠点とされました。また、神奈川で結ばれた日米和親条約の細則を定める下田条約がここで締結されています。

寺は紅の梅がちょうど見ごろでした。いつから植えられているものかわかりませんが、ペリーやこのあとこの地にやってきたハリスもこの梅を観たのでしょうか。

了仙寺からさらに先、西に歩を進めると開国の歴史を知れる開国博物館があります。歴史を学ぶ施設であることはもちろんですが、ここはかなり地酒が豊富に置かれているのでそれ目当てで訪ねてみてもいいと思いますよ。

港の方に戻り、港の蕎麦にある小高い丘に登ります。かつて下田城があったこの場所は下田公園となり、開国記念碑が建てられ、日米の交流がここから始まり、将来にわたって共栄していくことを誓う碑文が設置されています。

1979年には当時の大統領であるジミー・カーター氏が下田に来日しました。その記念碑もここに残されています。アメリカにとっても下田は日本との交流の歴史を切り開いた歴史的意味のある場所なのです。

今回、開国の舞台としての下田を紹介してきましたが、下田の魅力はそれだけではありません。下田市では30カラーズプロジェクトと銘打ち、さまざまな視点で下田を観光することができるよう30のパンフレットが用意されています。気になるパンフレットをのぞいてみてもらって、あなたらしい下田探しの旅に出かけるのも楽しいと思います。

下田30カラーズプロジェクトとは

編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年2月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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