慎太郎の涙
さて、冒頭に紹介した北村滋は、安倍内閣で国家安全保障局長や内閣特別顧問を歴任した、元総理の知恵袋の一人として知られる人物。3.11当時は警察庁警備局外事情報部長として、菅直人内閣の対応に懸念を抱く米国NRC(原子力規制委員会)のカウンターパートとして奔走した。
NRC最大の懸念は、福島三・四号機の「核燃料プールの水がなくなり、燃料が溶け出して高濃度の放射線物質が外に放出される」こと。17日には陸上自衛隊のヘリが3号機に放水を行い、午後にも警察のデモ対策用放水車が放水したが届かなかった。米軍による放水も見送られた。
残る一手は、「大規模火災等に対応可能な東京消防庁のハイパーレスキュー(消防救助機動部隊)」の出動だった。北村は、安倍元総理、菅元総務大臣ら数名に電話を架けまくる。すると折り返し安倍元総理からこう返信があった。
「石原都知事に電話をして直接お願いしたよ。何のこだわりもなかった。快諾だったね。放水車はなるべく早く出動させると言っていた」
斯くてハイパーレスキューが出動し、19日未明から放水作戦を敢行した。この作戦の効果がどれほどあったかどうかは問題でない。無事帰還した隊員を石原都知事は涙ながらに労ったが、国のため、国民のため、そして何より家族のために、与えられた職務を遂行するプロ意識こそ尊い。
3.11には吉田所長以下のいわゆる「フクシマ50」に纏わる感動的な話と、それを歪曲報道して謝罪・取り消した朝日新聞の堕落振りなどを含め、数多くのエピソードがある。それこそ人の数だけ感慨深い物語があるだろう。私の一番は慎太郎の涙だった。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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