次の人口急増期は明治維新後であり、約3300万人の人口が2008年のピークの12,800万人まで棒上げするのです。よって今はその反動期ともいえます。

私はこのブログで日本の人口はある程度まで減少した時点で止まるだろう、と申し上げました。たしか、イーロンマスク氏がSNSでこのままでは日本が消滅するという趣旨を述べた際に私の反論として述べたものです。理由は「種の保存の法則」がキックインすると考えるからです。人間版種の保存の法則の典型としてユダヤ人や特定の国家を持たない最大民族、クルド人はよい例だと思います。民族は世界に数千はあるとされます。もちろん、滅亡した民族も数知れず、それは一種の生存競争であったのだろうと察しています。その中でユダヤやクルド系はその中で生き残る力を持っていたわけです。

日本人も同様の生存競争を通じて耐えうる能力を持っていると考えています。但し、超長期の人口推移のチャートを眺めていると株価のチャートと重なるものがあるのです。つまり明治維新以降の人口急増はいくら戦争を間に挟んでいたとはいえ、増えすぎたのだろうというのが一点。もう1つはこの60年ぐらいトレンドとして親は知らずのうちに少子化を選んだのだろうと。理由は家の狭さと教育費であります。

60年代の持ち家ブームは経済振興には良かったのですが、家のサイズがいかんせん狭く、当時は少子化問題など考えなかったことはあるでしょう。子供がいればそれぞれに子供部屋を与えたいのは関の山。ですが、それもかなわず、小さい頃は二段ベッドなり川の字で凌げますが、ある程度の年齢になればそれも無理、よって家のサイズが心理的に子供の数を制限した可能性はあります。

もう一つは受験戦争が70年代以降、熾烈になったことがあります。私だって小学校2年から塾通いでした。当たり前のように塾に通い、受験が近づけば進学塾という高い月謝の塾に通わせてもらったわけで親にすれば相当の資金負担だっただろうと今になって思うのです。これを2人、3人育てるのはある程度のゆとりは必要かと思うのです。大学全入時代が逆に親にプレッシャーをかけるともいえます。昔は中卒でもアリだった、それが高校ぐらいは出て欲しい、そのうちに大学卒は当たり前になれば親の経済負担は大きくなる一方です。

今は子供に対する期待が量より質にシフトしていることが少子化のキーだと考えています。前述の「未来選択社会」の5つの提言が逆効果ではないかと申し上げたのはまさに質の向上ありきなのです。

本件は難しい問題を内包していますが、個人的には少子化はそのペースはともかく、当面は人口が減ることは確実なわけですから人口減の社会に於ける日本の100年計画をどうしたいのか、という大所高所からの見解と対策が必要だろうと考えています。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年1月11日の記事より転載させていただきました。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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