叱るのは成長に期待する間だけ
「怒られているうちが花」という言葉がある。彼らの場合は本当にそうで、目をかけて伸ばしたいと思っている間はあれこれ細かく叱られる。だが、一旦見限られるとパッと手を離して一切の干渉をしないという特徴がある。良くも悪くも、可能性がある内は情熱的でもそれがなくなれば他に成長可能性がある要素へリソースの投資をするのだろう。人によっては冷たいと感じてしまうかもしれない。
しかし、彼らの対応は極めて合理的だ。人間はいって分かる人とわからない人がいる。どれだけ言葉や愛を尽くして伝えても、わからない人は絶対にわからない。仕事ができる人は思考や行動が合理的だからこそ、上へ上り詰めていると言える。そんな合理主義者は人間関係においても遺憾なく発揮される。いってもムダだと感じたら、すっと離れる。「一度知り合った仲だし、御縁だから」と諦めずに言い続けてくれるわけではないのだ。
口うるさく言うその人は、可能性を見限ったら離れていくかもしれない。
確固たる信念を持っている仕事に厳しい人は自分の中で「仕事とはこうあるべきだ」という独自の哲学を持っている事が多い。
過去、尊敬する仕事に厳しい先輩や上司は全員そうだった。降ってきた仕事をお給料分、最低限するだけでいいやというのではなく、「自分がやらねば誰がやる」という姿勢で仕事に取り組み、休日に出社して一生懸命仕事をする姿を後ろから見た時はとても心に響いた。
彼らの仕事の哲学は「自分のために仕事をする」ということである。会社のため、役割の責任を果たすためではなくプロフェッショナルとしての仕事人の自分であり続けるために働いている。だから、誰も見ていない部分でも絶対に手を抜かない。他人は見ていなくても自分は自分の仕事を見ているからだ。それが成果物の質に反映され、マーケットに評価されるスキルに昇華されるので彼らは転職にも困ることがない。
仕事はやらされ感ではなく、たとえサラリーマンという立場でも理想は主体的に、自分のためにやるべきものなのだ。
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仕事に厳しい人はそうでない人と比べて、ものの見方や考え方がまったく違い、自分独自の哲学を持っているので非常に学びも多い。過去、仕事終わりに飲みに連れて行ってもらって数多くのアドバイスをもらってきたが、その助言は今でも役に立っている。特に若い内はできるだけ仕事に厳しいプロフェッショナルについた方がいい。独力では至らない視点を若い段階で見ることができる価値は計り知れないほど大きいのだから。
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