近い例としてあっけらかんなアメリカ人と大阪人、シャイなカナダ人と東京人がフィットするかもしれません。ただ、カナダ人も旅行に行くと東京より大阪により強く惹かれてくるのもこれまた事実。大阪人のフランクな感じは諸外国の人を受け入れやすいとも言えます。ちなみに一番難しいのが京都人だと思います。朝廷の名残やプライドを今でもしっかり持っており、本音と建前の使い分けは日本人でも理解しがたいことがあります。
話を元に戻しますが、カナダのモザイクも時間の経過とともにモザイクのサイズがバラバラになってきて歪みが出てきました。私は多文化推進のグループに時折顔を出しますが、そこで言われるのは「このグループにはインド、中国本土、フィリピン系はいない。理由は彼らは大きすぎるからだ」と。多文化推進においても大きすぎるところとは既に一線があるわけです。しかもこれはアジア圏だけの話で同様な動きは移民が多いかつての東欧系でも同様です。表層上は静かにしているものの実は民族系の対立軸を理解していないと誰と誰がどうなのか、というのはさっぱり理解できないのです。
こう見ると移民国家はそれなりに苦労しているし、乗り越える努力をしているもののそれを飛び越えた問題は生じやすくなったと言えます。カナダのトルドー首相がインドや中国との外交で苦慮しているのもバイデン大統領がイスラエルとの位置関係によりイスラム系をすっかり敵に回したのと同じです。例えばイアンブレマー氏は(イスラエル/ハマスの戦いを受けて)「万が一イランと米国が直接衝突すれば…2024年の米大統領選でバイデン氏が敗北し、トランプ氏に勝利をもたらすことだろう」(日経ビジネス)と断じています。(個人的にはそこまで言い切れないと思います。)
日本はほぼ単一民族でよかった、と言っても確実に外国人は増えています。狭い共同体社会を前提とする日本に於いて社会全体の共生は苦手なイシューだと思いますが好む好まざるにかかわらず、共生社会は来るし、アメリカやカナダが抱える問題は避けたくても避けられないし、当然ながら、我が国の問題にもなりえるし、既に一部ではなっているとも言えます。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年12月10日の記事より転載させていただきました。
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