今回は、アメリカの歴史の7回目です。
- 合衆国憲法の制定
1781年、「連合規約」にようやく全邦批准が実現し、発効しました。連合会議は脆弱ながらも正式に各邦を束ねる中央政府のような機関となったのです。不完全ながらも行政機能を分掌しましたが、課税権の付与は実現しませんでした。西部領土は、各邦ではなく連合会議の管轄下に置かれました。
1785年の公有地条例では、旧北西部の公有地の測量・売却の手続きが定められました。
1787年の北西部条例では、アメリカ合衆国が統治する最初の領土として、五大湖の南オハイオ川の北と、ミシシッピ川の東の地域を北西部領土と規定しました。その地では奴隷制が禁じらます。
自由成人男性の人口が5000を超えると準州として自治権が認められ、自由人人口が6万に達したら承認を経て邦(州)に昇格できるとしました。
既存の州と完全に同等の資格で連邦に加わる仕組みです。
イギリス本国のように植民地として従属させ続ける伝統的手法とはまったく異なる統治原理が確立したのです。
しかし、連合会議は、戦後のインフレなど悪化する経済状況と政治的混乱への対応では困難を極めました。1786年にはマサチューセッツで債務返済にあえぐ西武農民たちの大規模な反乱(シェイズの反乱)もおこります。