キッシンジャー氏は100歳の誕生日から数週間後の6月末、誕生日パーティーのために再びフュルトを訪れた。市内の劇場で行われた式典で、同氏は「祖国に背を向けることは苦痛だったが、戦後、平和、民主主義、繁栄に尽力する社会に戻ることが出来て本当に嬉しい」と語ったという。

キッシンジャー氏は高齢にもかかわらず、世界の情勢に強い関心を示し、100歳になった直後の今年7月、中国を訪問し、習近平国家主席と会合するなど精力的な活動を最後まで続けた。同氏が語った発言内容は即、世界の通信社を通じて流された、外交官としてベトナム戦争の和平への貢献でノーベル平和賞を受賞。批評家の中には「キッシンジャー氏は純粋な権力指向の政治家であり、その外交政策は秘密外交だった」という声もあるが、米国と中国の接近など世界史に残る外交を展開したことは周知の事だ。

ドイツ・バイエルン州マルクトル村出身のローマ教皇ベネディクト16世(在位2005年~13年2月)が誕生した時、ドイツ国民、特にバイエルン州民は「我々の教皇が生まれた」と大喜びだった。その同16世は昨年12月末、95歳で亡くなった。そして同じバイエルン州出身のキッシンジャー氏が先月29日に亡くなった。バイエルン州民は、過去100年間の激動の世界史を自ら体験しながら生きたユダヤ人外交官が同じ故郷出身であったことを誇らしく感じてきただけに、ベネディクト16世に次いで歴史的人物を失ったことに落胆と悲しみを感じている。

ヘンリーA.キッシンジャー氏 同氏HPより

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年12月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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