照明はいたずら満載で、アルフレードの高音にヤラレてしまうロザリンデは電飾のように点滅し、鹿鳴館でバッタリ鉢合わせするアシゼンシュタインとアデーレは、運命の出会いのように二人だけにスポットライトが当たる。ひとつひとつの洒落は結構シンプルで、小学生のギャグのようなものも含まれているのだが、「間」と「タイミング」が絶妙なので、きちんと笑えるような仕組みになっている。

©2/FaithCompany

オケの緩急と照明も、細かいところがぴったり合っていたので、相当丁寧な準備を行ったのだろう。阪哲朗マエストロとザ・オペラ・バンドのゴージャスなオーケストラ・サウンドが喜劇を盛り上げていた。

森谷真理さんのコメディエンヌとしての身体性の素晴らしさ、フランク山下浩司さんとアイゼンシュタイン福井敬さんのやりとりの面白さ、ファルケ大西宇宙さんの黒幕としてのギラつく迫力など、オールスター歌手陣の活躍が目覚ましかったが、すべての人の記憶に最も強く残ったのは「カウンターテナー麻呂が歌うオルロフスキー(藤木大地さん)」だったと想像する。

松の廊下のような足運び、冥途からのメッセージのような美声、設定の突拍子もなさ…演出家の天才的な才気を感じずにはいられない。萬斎さんは演出家が「主人」となって出迎えなければ、オペラ(オペレッタ)という出し物が成立しないことを熟知していた。

©2/FaithCompany

「境を破る」というキワの精神は、最も日本的な洗練のひとつで、よぶんな衣裳などを簡略化した「まさか」の方法も、二次元的表現をアヴァンギャルドにつきつめていく和の技法。20年以上前の著作『狂言サイボーグ』では、既に当時の萬斎さんが海外の様々な演劇を取材し、勉強されていることが書かれているが、伝統芸能を切っ先鋭く伝承していくためには、井の中の蛙ではいかんと思われていたのだろう。身が引き締まる。

プログラムには、三幕の牢獄シーンで萬斎さんが、コミック『はいからさんが通る』をイメージしていた箇所があると書かれていて、大いに笑った。確かに、『はいからさんが通る』には「牢名主」も出てくるし「酒乱童子」も出てくるし…オルロフスキーのような殿様も通行人として出てきたような気がする。

酔っぱらってバカ騒ぎをして、隙あらば浮気をしようとしている大人の世界は、天空から俯瞰すれば可愛いものなのかも知れない。酒(シャンパン)がもたらす酩酊は、この世とあの世の虹の架け橋。プロの凄い演出を通して描かれる最新の『こうもり』は、一周回って何だか尊い世界だった。

J.シュトラウスⅡ世/喜歌劇 『こうもり』

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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