3.ウェルビーイングと政治家~パブリックを担う勇気と正しいウェルビーイング

先ほど、日本では、最後の牙城とも言える官公庁に至るまで、ウェルビーイングが広まっていると書いたが、もしかすると、そのリーチが届かない先にいるのが政治家かもしれない。彼らの正確な残業時間は測定するべくもないが、土日はもちろん、早朝から深夜に及ぶ各種会合への出席などを考えると、とても普通の人が耐えられる生活ではない。

ただ、世の中の多くの職業でウェルビーイングが広まれば広まるほど、余暇?の増えた国民たちの不平不満の矛先が政治に向いているような気がする。

「俺たちの税金で食ってるくせに」(という人ほど、実はさほど税金を払っていない、という気がするのは私だけであろうか)という“大義名分”をひっさげて、忙しい時には向かなかった意識が、より栄えているように見えるもの、偉そうな人たちに先鋭的に向いている気がする。

(余談だが、ビッグモーター、ジャニーズ、宝塚、自民党(安倍派)、松本人志、ダイハツ(トヨタ)・・・と、もちろん、不正などがある場合にはそれは正す必要があるが、いずれにせよ、強いもの・勝っているものに対する不平不満が凄い勢いで世間に渦巻いている気がする)

そうなると、ウェルビーイングはないわ、世間の不満は向かうわの政治家になるなり手は必然的に減って行き、その質は低下する。

世界最高峰の人材を集めて、世界最強の国家となったにも関わらず、そして、民主主義であるにも関わらず、トランプ vs. バイデンの大統領選挙しか演出できなくなってしまったアメリカはその典型であろう。良い人材は、ポリティカル・アポインティなどによる一本釣りを除き、さほど政治や行政に向かっていないというのはコンセンサスである。

かつての日本では、「滅私奉公」という言葉が流行っていた。自らは犠牲にして、公のために尽くす。そういう行為が、人々の尊敬を生み、労働時間や精神的ストレス、金銭面での処遇などでは、ウェルビーイングとは程遠い生活環境でありながら、公共(パブリック)を担う人材になろうという優秀な人材が多数存在した。

そして、究極の滅私奉公の存在が、実は天皇陛下であると私見では感じている。天皇陛下は憲法上も実態上も日本国の象徴・シンボルということだが、一体何の象徴なのかと考えると、もちろん、祭祀を担うなど歴史・文化的な意味もあるが、究極的には、「利他の象徴」ということなのではないかと思う。自らを犠牲にして、この国・社会の未来永劫の弥栄を祈願する。そのためには、自らの身は顧みない。

眞子様などの動きがある意味で典型なのであろうが、ウェルビーイングを考えると、とても皇室に生まれたいとは思わないのが普通であろう。

ウェルビーイング全盛下における天皇陛下・皇室メンバーの人権というのは、ある意味古くて新しい命題であり、私見ではいずれイギリス王室のように、天皇制や皇室はその存在そのものの是非が公然と、過激な形で議論の対象になってしまう時代がくると感じている。

が、いずれにせよ、かつては、究極の滅私奉公ともいえる天皇陛下を頂点に、政治家・官僚・そして、渋沢栄一翁のような大経営者に至るまで、表層的なウェルビーイングを犠牲にしても、自分の人生を輝かせよう、ということが尊重され、評価されていた。

単に昔に戻れ、というつもりはない。ただ、公共(パブリック)を担う勇気、そうした滅私奉公的人生も、一つの選択としてあるべきであり、そのために必死に頑張るということも、人によっては究極のウェルビーイングである、という事実に社会がもって目を向けるべきであると強く感じている。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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