■「めっちゃ怖い」とどよめき起こる
ここまで念を押されると、逆に「開けてみたい」と感じてしまう人が多かったのだろう。
件のツイートは投稿からわずか数日で3,000件以上ものRTを記録しており、他のツイッターユーザーからは「異世界に迷い込むんかな…」「どこに通じているドアなんだろうか」「これめっちゃ怖い」といった驚きの声が多数上がっていた。
そこで今回は、張り紙の末尾に記されていた「太宰治記念館『斜陽館』」の実態を探るべく、同施設を運営する青森県「五所川原市教育委員会」に詳しい話を聞いてみることに…。
■掲出の「経緯」に思わず納得
「太宰治」といえば、日本を代表する文豪の1人。今回注目を集めた「斜陽館」は、太宰が生まれる2年前の1907年(明治40年)に父・津島源右衛門によって建てられた豪邸だという。
和洋折衷で入母屋造りの同建物は国の重要文化財建造物にも指定されており、明治期の木造建築物としても貴重な存在にして、現在は幼少期の太宰に縁のある貴重な品々を展示しているのだ。
件の張り紙を掲出した経緯について、指定管理者は「過去に団体で入館された来館者の方がこちらのドアから外出し、集合時間に戻って来られない…という事態が頻発したことなどの理由から、当該張り紙の掲出にいたりました」と振り返っており、その「豪邸ぶり」が改めて窺えるというもの。
「迷われたり、行方がわからなくなる」という表現は、決して誇張ではなかったのだ…。
■斜陽館の近くにも「聖地」が
なお、話題のツイート投稿主・故野チョビさんはかなりの「太宰通」なようで、今回話題となった斜陽館のほか、近隣にある「太宰治疎開の家『旧津島家新座敷』」についてもプッシュしていた。
知名度とインパクトでは「斜陽館」が勝るかもしれないが、こちらの建物は1922年(大正11)の建築で、歴史の重みでは決して負けていない。
当初は太宰の生家(現・斜陽館)の奥に渡り廊下で繫がる、太宰の長兄夫婦のために建てられた「離れ屋敷」で、後に戦禍を逃れて疎開した太宰が終戦直後に数々の創作をした家だというのだ。
同施設の担当者は「文壇登場後の居宅としては、唯一現存する建物でもあります」「太宰の作品に登場する舞台として、またかつてここに暮らした太宰と家族の知られざる逸話が、当時を知る縁者の証言によって続々と発掘され、現在では人々を改めて太宰作品の入り口に立たせてくれるような貴重な場所になってきました」と、太鼓判を押している。
取材の最後に寄せてくれた「離れの廊下を踏み、耳をすませば、太宰が生きた時代と津軽地方の暮らしに立ち会い、思いがけず心の糸に触れるような体験がここにあります。『もう一度太宰をじっくりと読みたい』そんな思いが掻き立てられる特別な空間に、どうぞおいでください」というコメントが、じつに印象的であった。
ぜひ斜陽館と併せ、旧津島家新座敷にも足を運んでみてもらいたい。