当時、赤十字国際委員会と日本赤十字は、当事者が周囲から政治的な同調圧力を受けることのないよう、最大限の配慮を払おうとしたという。後に一部、朝鮮総連や帰国協力会に批判されて撤回するが、ガイドブックには「在日朝鮮人は日本の国法に従う限り、退去を強制されることはありません」との原則を明記し、意思確認に当たっても万全を期そうとしていた。
①帰国を申請する窓口で日赤職員が帰国者に「全く自由な意思によって決心したか否か」を質問し、②出航前の3泊4日間、帰国者が新潟の日赤新潟センター(出航前の一時滞在施設)で「意思変更の最後の機会」として特別室で日赤代表と面会し、国際委の代表(と通訳)が同席する、③万一、強迫を受けて申請できないか申請を強制された場合、警察へ届け出れば適当な措置をとる――。 さらに「混乱や事件の発生を防ぐため」、いったん「帰還列車」に乗った後は乗船まで家族を含めて外部との接触は禁止された。総連、民団双方の宣伝が帰国の自由意思を左右することがないように、という配慮だった。
同書、122-123頁
近日の新型コロナウイルス禍でもまた、かつての戦争と同様の「国民の全体を挙げて」のまちがいが起きたと、僕が考えていることは何度も書いてきた。しかし戦時下はおろか、高度成長の最初期でまだ貧しかった当時の日本と比べても、私たちの社会のありようはどうであったか。
自由な意思など要らない、むしろ「強迫」してでも日常の活動を自粛させ、先例のないワクチンを打たせるべきだ――そうした振る舞いをSNSで誇示した人たちは、有名無名を問わず枚挙に暇がない。彼ら彼女らは、当時は国民の大多数が同じ立場だったために、自らを顧みることができなかった(そして、いまも省みようとしない)。
私たちは本当に、語り継ぐべき「歴史」を語ってきたのだろうか。むしろいかなる過去を後世に伝えるべきか、その基準自体を「まちがえてきた」のではなかったか。
実際には戦後最大級の人権の剥奪へとつながる道を、「人道的」だと信じて全員で舗装した悲劇に接するたび、そうした思いが消えない。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年5月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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