もう遠い昔のようにも感じるが、かつて日本には“ヤマンバギャル”なるものが存在した。ガングロで髪の毛を脱色した彼女たちが跋扈したのは、もう20年以上前のことではなかったか。ヤマンバ=山姥は言わずと知れた恐ろしい妖怪だが、その呼び名が、まるで称号のようになっていたのだから不思議なものである。

 妖怪としての山姥は、山奥の岩屋などに棲んでいて一夜の宿を乞うたものを取って食らう。山姥は、かつては全国各地に棲息して、多くの旅人を襲ったようだが、その代表的なものは、東北福島の「安達ヶ原」というところにいた。世に「黒塚の鬼女(鬼婆)」など呼ばれる山姥はこんな伝承とともに語り継がれてきた。

妊婦の腹を裂き、胎児の“生ぎも”を飲む「山姥=ヤマンバ」伝承の怖すぎる結末とは…
(画像=鳥山石燕『画図百鬼夜行』より。画像は「Wikipedia」より引用,『TOCANA』より 引用)

 昔、京の都に「いわて」という老女が、口をきくことができない姫の世話をしていた。占い師にみてもらうと、おなかの中にいる子どもの“生ぎも”を飲むと話をできるようになるということだった。

 そこでいわては、生ぎもを得るため奥州に下った。

 いわては、阿武隈川のほとりに住んで、旅人を泊まらせては、生ぎもをとっていた。そんなある日、生駒之助と恋衣という若い夫婦がやってきて、宿を乞うた。妻の恋衣は子どもをみごもっていた。

 その夜、恋衣が腹痛を訴えたので、生駒之助は薬を求めに出かけていった。その隙をみて、いわては出刃包丁で恋衣の腹を裂いた。恋衣は、「私は母を尋ねて歩いているのです。心当りの旅人がいたらお話しください」と言って息絶えた。

 恋衣が持つお守り袋を開いてみると、恋衣はいわての娘だった。自分の娘を殺し、孫を殺したことを知ったいわては、発狂し、鬼女と化した。

妊婦の腹を裂き、胎児の“生ぎも”を飲む「山姥=ヤマンバ」伝承の怖すぎる結末とは…
(画像=画像は「Wikipedia」より引用、『TOCANA』より 引用)

 それからしばらく経った聖武天皇の神亀3年(726)の秋8月のこと、紀州の僧・東光坊阿闍梨祐慶が、鬼婆の住処に宿を得ようとした。鬼女が薪を採りに出かけていくとき、「開けてはいけない」と言いおいたが、祐慶が覗いて見ると、人骨が山のように積み重なっていた。

 慌ててそこを飛び出した祐慶を、薪を取って帰ってきた鬼女が追いかける。

 祐慶が、追いすがる鬼女に向かって、熊野那智大社のお札を「山になれ」と祈りながら撒くと、山となった。しかし、鬼女が山を越えて追ってくるので、今度は「谷になれ」とお札を撒くと、今度は谷ができた。それでも鬼女が谷を渡って追ってくるので、祐慶が「川になれ」とお札を撒くと、大きな川になった。鬼女はひるまず川を越えて追ってきた。

 最後の手段に祐慶が如意輪観音に祈ると観音様が天空に現われ、「破魔の真弓」に「金剛の矢」をつがえて鬼女を射ち、退治した。祐慶は阿武隈川のほとりに塚を造って鬼女を葬り、そこは「黒塚」と呼ばれるようになった。

 現在、黒塚近くにある観世寺は、祐慶が観音像を祀るために建立した寺とされ、境内には鬼女の墓、住んでいたという岩屋、血で染まった包丁を洗ったという池などが残されている。

 手厚く葬られ、成仏を果たした鬼女は、今では地元の“地域おこし”にも貢献しているようである。観光施設「安達ヶ原ふるさと村」のイメージキャラクターは、鬼女をもとにした“バッピーちゃん”なのだ。長い時を超えて恐怖のヤマンバは、地元でも都会でも愛される存在になったのである。

文=畑中章宏

提供元・TOCANA

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