私が私淑する明治の知の巨人・安岡正篤先生は「出来た人」ということで、「世に処して活動する人々は、どんなに忙しくとも、その風格に何処か明るく、静かな趣(おもむき)がなければならぬ。それでこそ所謂(いわゆる)出来た人である。がさつはいけない」と述べておられます。
此の言に対しては以前Twitterを見ていたところ、高橋大輔(尾崎財団&安岡財団&陸修偕行社)さんが次のように言われていました――自分は全然できた人じゃない、それでも「がさつはいけない」この感覚はよくわかる。時にはなりふり構わぬ場面が出て来るとしても、基本動作においては、やはりがさつはいけない。
以下私見を簡潔に申し上げれば、ある面で「がさつはいけない」というのはその通りだと思います。国語辞書を見ますと、がさつとは「細かいところまで気が回らず、言葉や動作が荒っぽくて落ち着きのないさま」と書かれています。これ正に「静かな趣」とは正反対の状況であり、上記高橋さんも指摘される通りだと思います。
当ブログ「北尾吉孝日記」で、明代の学者・崔後渠(さいこうきょ)が作った下記「六然訓:りくぜんくん」を御紹介したことがあります。