人間は社会的な動物であり、自分一人では生きられず、周りによって生かされています。人間として生まれてきた以上、何か社会で果たすべき役割があるはずです。その役割が天命というものです。我々にとって天命を知ることは、生きる目的を知ることだと言っても過言ではないでしょう。江戸時代の名高い儒学者である佐藤一斎(1772年-1859年)が言うように、「人は須(すべか)らく、自ら省察すべし。天、何の故に我が身を生み出し、我をして果たして何の用に供せしむる。我れ既に天物なれば、必ず天役あり。天役供せずんば、天の咎(とがめ)必ず至らん。省察して此に到れば則ち我が身の苟生すべからざるを知る」(『言志録』第10条)ものです。

「天役」とは、自分の天職と思える仕事を通じて天に仕えること、社会に貢献すること、即ち世の為人の為に仕事をすることです。仕事を自分自身の金儲けの為や自分の生活の糧を得る為のものだと考えると、人生は詰まらないものになります。世の為人の為になることをするからこそ、そこに生き甲斐が生まれ幸福になれるのです。私は、自分の天分を全うする中でしか此の生き甲斐は得られない、と思っています。そして人格の陶冶に努めた結果として最終、「楽天知命:天を楽しみ命を知る、故に憂えず」という境地に到るのです。天命を悟り、それを楽しむ心構えが出来れば、人の心は楽になるのです。そうやって天に仕える身として常に自らの良心に背くことなく、社会の発展に尽くすべく仕事の中で世の為人の為を貫き通したらば、人は幸せになれるのだと思います。

編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年11月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。