最近は連載以外はコラムを書いていなかったが、書かざるを得ない衝動に突き動かされた。それは政治と金の問題に関してである。世間を騒がせているが、そんな世間で語られる次元ではなく、決して許されない、堪忍袋の緒が切れたのだ。

私自身、政治と金の問題に関して個人的には、ある程度汚い金も必要悪で、その目的とする事が国益に資する事であれば容認する考えを持っている。清廉潔白な政治家など、戯言は語れても現実社会への貢献など出来るとは思えないし、綺麗ごとの通じない国際社会の中で国益視点では、ある程度泥にまみれ、汚い手も使う、清濁併せ呑む覚悟も必要だからである。それは政治家にしかできないはずだ。軍隊が国家を防衛するにあたり覚悟が必要なのと同様、政治家にも覚悟が必要と考えている。

しかし、昨年末から今年にかけての自民党のパーティー券騒動は、余りの出鱈目、政治家たる資質の欠如、いや社会人としての人間性の欠落、国益度外視の私利私欲の塊のドタバタ劇を見せられて怒らない国民はいないのではないだろうか。

そして冷静に一つ一つを繋げて俯瞰して見ると、そこには公平・公正な論理はなく、野党もメディアも含めてまともな論理が通じない日本を壊す存在であり、民主主義の危機だと言わざるを得ない。

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まず一つ目は、いつまでも安倍派と呼称している事に違和感を感じている。

安倍元総理は総理時代、派閥を離脱している。これは部分最適に陥らないための慣習であり、派閥に属していたのは総理退陣後暫くしてから無くなるまでのほんの数か月だけである。つまり対象とされる5年の殆どは、総理在任中の細田派であり、亡くなった後のことなのだ。

更に、安倍元総理は派閥の領袖に就任後、裏金の処理に関して厳しく糾弾し禁じる指示をしていた。現実に在任時のパーティーはキックバックもされていない。問題は亡くなった後にキックバックが復活している点であり、安倍氏には関係なく、安倍派と印象操作するのは、余りにも故人を冒涜する行為に思えてならない。

そして本件に関わる岸田総理の人事には違和感を通り越して、嫌悪感すら感じる。

事件が発覚して直ぐに、まだ疑惑の段階で清和政策研究会(安倍派と呼称)の閣僚達が揃って更迭された。しかし、志帥会(二階派)の閣僚は派閥離脱するだけで更迭はされていない。宏池会(岸田派)に至っては略式起訴されるに至ってもなんら処分はされてない。岸田総理退陣の声が上がらないのは異常であり、ダブルスタンダードである。