第3部では、ファラオから解放されたイスラエルの民を率いて約束の地カナンに出発する。途中、水がない、食べ物がないと嘆くイスラエル人を説得しながらモーセはカナンの地を目指す。神はモーセに「十戒」を与える。そしてマナを降らせてイスラエルの民に食糧を与えるなどをして、神の業を見せる。聖書ではカナンを目の前にしながらモーセは死に、後継者ヨシュアが民を率いてカナンに入る。

モーセはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大唯一神教で預言者、解放者として崇拝されている唯一無二の存在だ。映画では主なプロットは、旧約聖書のヒーローの生涯を時系列で描いており、イスラエルの俳優アヴィ・アズライ(Avi Azulay)がモーセ役を演じている。

「神と交わした約束:モーセの物語」の中で興味深かった話は、ファラオの娘Bithiaだ。BatYahと言われた。Yahはヘブライ語で神を意味することから、Bithia姫は「神の娘」という意味だ。ヘブライ聖書の准教授であるヘブライ・カレッジのラビ、レイチェル・アデルマン氏は「聖書解釈(ミドラーシュ)ではファラオの娘は、神によって『神の娘』として養子にされたという。バト・ヤー、ヘブライ語の『神の娘』を意味する。彼女以外に『神の娘』という呼称を持つ人はなく、その名前は唯一無二だ」という。

Bithiaは妊娠したが、流産した、悲しみからナイル川で死のうとしていた時、赤ん坊の泣き声を聞く。流れてきた籠を引き上げると、そこには男の子の赤ん坊がいた。Bithia姫はその赤ん坊の自分の子として王宮で育てることにする。モーセはヘブライ語ではMosheで、「水から引き上げた」という意味がある。モーセが逃亡から王宮に戻った時、彼女はモーセを抱擁する。モーセが神の命でイスラエル人をカナンに導かなければならないことを知って驚くが、ファラオとモーセの間にあって何とか両者を和解させようとする。解放者モーセの背後に、神の娘(バト・ヤー)の存在があったわけだ。

モーセがカナンの地を目の前にしたが、入ることが出来ないことを嘆くと、妻チッポラは「子供たちが約束の地に入るだろう」と答え、3部作は終わる。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年4月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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