話し合うことで合意したのは、「discuss」という動詞の目的語になっている箇所だが、それは「what steps」だ。対面の会合「a personal meeting」は、「discuss」の目的語を構成していない。ゼレンスキー大統領がポストしたのは、あくまでも、「what steps(どんな手段がいいか)」を、今度会った時に話そう、という意味の文章だ。
ところが時事通信は、「会合を持つことに合意した」というふうに意味を変えて報道してしまっている。
もちろん何かの折に会うことでもあれば話をするかもしれないので、そういう機会がすぐにあるなら、あるかもしれない。私自身は、両名の予定繰りを、知らない。
だが職場の廊下で必ず会う、何かの組織の定例会合で必ず会う、という関係には、まだなっていない。基本は、あくまでも「会ったときに」の話だ。
そもそも電話で両名が会話をしたのは、ゼレンスキー大統領が、トランプ氏に対して、暗殺未遂事件後をお見舞いし、正式に大統領候補になったことに祝意を表したからだ。それだけに過ぎない。
もちろん、選挙までまだ4カ月あると言っても、トランプ氏の当選の確率は非常に高くなっている。その意味では、遅かれ早かれ、両者が対面で話をする機会は訪れるだろう。私としても、時事通信の記事を大げさに事実と違うかのように扱いたいわけではない。
しかし日本のSNSでは、衝撃が走り、一般市民のみならず学者層までもが加わって、「それでも私はウクライナを応援し続ける」「それでも私はロシアを非難し続ける」のような決意表明・立場表明が相次いでいたりもする。どうしてこんなことになってしまっているのか。おかしな状況である。
ロシア・ウクライナ戦争は、注目度が高く、結果として、固定ファン層・固定アンチ層が生まれてしまっていたりする。やっかいなのは、学者層まで、そこに入り込んでしまっていたりすることだ。
とはいえ、大多数の学者層がそうなっている、ということではない。感情的なやり取りを意識しすぎることなく、冷静に状況を見つめていきたい。
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