自民党が修羅場をくぐり抜けたかというと、そうでもなさそうです。仏教用語でいう五悪(仏教信者が守るべき戒め、五つの不善)のうち、自民党はそのいくつかを破ったことは否定できません。

「妄語(もうご)はいけない(嘘をついてはいけない)」は破ったとみるべきでしょう。「政治資金収支報告書への不記載は承知していない」、「自分は関与していなかった。事務総長ではなく派閥事務局、会計責任者の担当だった」などと、言い逃れをしました。

派閥の会長、事務総長がいるのに、「派閥事務局」というブラックボックスを存在させ、そこを通した形にして責任を回避する便法です。闇の勢力が使うマネーロンダリング(資金洗浄)の手法と似ています。

「殺生してはいけない(生き物を殺してはいけない)」はどうでしょうか。さすがに「殺人、殺生」はしていなくても、「パーティ券収入のキッバック、納付の留保(裏金)は、政治倫理、政治道義に対する殺生」に相当します。

「偸盗(ちゅうとう=ひとのものを許可なく自分のものにする」にも引っかかってきます。パーティ券収入の一部を派閥に納めず、自分の懐にいれてしまう行為がこれに相当します。もともと少人数の勉強会なのに、「詐称」して、あちこちに声をかけ、大勢から資金を集める。出席はあえて求めず、資金さえ集まればよい。

自民党側には真実を語る気持ちはもともと、ありません。本来なら、政倫審開催を求めた野党側にこそ、新事実を発掘してきて、自民党側を追い詰める責任がありました。「事実関係を語れ」、「政治不信を払しょくせよ」と説教調でした。政倫審は説教をする場ではありません。

テレビ、新聞の大々的な報道に「だからどうなのよ」思った国民がほとんどでしょう。だから視聴者、読者のメディア離れが進むのです。憲法改正や安全保障など、新聞が政策提言に熱心な時期がありました。そのことを思い出してみたらどうなのでしょうか。

「言論の府の権威を貶めるな」(読売社説、2日)、「政治責任を不問にできぬ」(朝日社説、1月20日)などと叫んでも政治的な影響力はありません。もっと期待感を抱かせられるような主張を今こそすべきです。

編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2024年3月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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