小金井市の実家について伏せたまま自主避難民として証言した点ばかりか、取材案件ごと語られる内容が変わるため不信感を抱かれたという証言がある。これについては過去の記事で指摘済みだが、当事者として受けた被害の規模が語るごとに大袈裟になり、この延長線上にレジ袋鼻血の逸話があり、メディアからは単にリアリティーに欠けるだけでなく危険な語り手と目されたようだ。
今後、政治と報道で官舎立ち退き訴訟の判決がどのように扱われるか不透明な部分があるものの、鴨下家の主張が筋の悪いのを活動家からメディアまで理解しているのは間違いない。
なにせ自主避難者に住居を提供したのは自立できるまでの措置であり、自立できないほど心や体を病んでいる人には福祉が別の選択肢を提供し、避難者住宅が無料で永住できる場として用意されたのではないのは誰の目にも明らかだ。
しかも鴨下家は東京都小金井市に広大な土地と実家があり、祐也氏所有のマンションもあるとあって、自主避難者の代表と言い難いだけでなく、立ち退き問題との相性がひどく悪い。
週刊文春の取材に対して祐也氏の母は「息子と一緒に住んでも気を遣うだけでしょう。確かにマンションには息子の部屋もありますが、作業用の部屋。築四十年で風呂とトイレが一緒なので、若い人は住みたがらない。
息子は人を助けたいから、『守る会』の代表をやっていると言っていました」と語っている。一家は「人助けのために立ち上がった自主避難者」というだけでは駄目だったのか、被災者の典型かつ「悲劇の原発避難民」でなくてはならなかったのかと疑問を抱かざるを得ない。
鴨下家は「悲劇の原発避難民」であるのを主張するため、彼ら自身の信用を削り取りながら発言を続けた。よく知られたレジ袋と鼻血の逸話のように途中から何度も語られるようになったものもあれば、いわき市から一緒に逃げた美和氏の父親についての語りのように極めて初期に消え去った話題もあった。