松島トモ子は、女優をはじめ歌手やタレントとして活躍する人物として知られている。1949年に芸能界デビューして以降、80本の映画で主演を務め、多数の映画主題歌や挿入歌の吹込みをし、さらに少女雑誌『少女』では表紙モデルを10年間彼女一人で務めた。ミュージカル、ラジオパーソナリティ、声優なども行ない、現在でも幅広い活躍を展開している。
さて、松島トモ子と言えば猛獣に襲われたことで有名である。
1986年、彼女が46歳の時のこと。前年から放送が開始されていたドキュメンタリー番組『TIME21』の撮影で彼女はレポーターに抜擢された。この撮影は、『野生のエルザ』の著者ジョイ・アダムソンの夫ジョージ・アダムソンへの密着取材を目的としており、彼がケニアの動物保護区に住みライオンなどを世話していたということから、ケニアに向かうこととなる。
1月28日、餌付けされ人慣れしていたライオンの群れと接触していた彼女であったが、ジョージがキャンプとの無線でジープに戻り彼女から目を離していたその時、彼女の背後へ忍び寄ってきたメスライオンに襲われたのである。彼女は宙に投げ飛ばされ、さらには10メートル引きずられてスーツもボロボロになってしまった。現地の病院で手当てを受けた彼女は、頭、背中、腿に傷を負い、その頭に包帯が巻かれた姿の写真は、日本でも大きな話題となった。
しかし、その同じ番組のロケで再び悲劇が起こった。ライオンに襲われたそのわずか10日後、今度はヒョウに襲われたのだ。
2月7日ライオンに襲われた後、交渉により3日ほどで退院した彼女は、再び撮影のため動物保護区へ戻った。そこで、責任者であるトニー・フィッツジョンと共に、飼育されているメスヒョウを見に行くこととなった。夜間、施設から外へ出たところ、柵を飛び越え待ち伏せていたヒョウと彼女が目を合わせてしまったのである。
彼女はヒョウに首を噛みつかれ、その際「ガリガリとかじられる音が聞こえた」という。その後、彼女は救急ヘリを要求するも、夜間の飛行は危険とのことで朝まで止血しながら耐え、朝になってようやく搬送された。彼女は頸椎粉砕骨折を診断されるも、後遺症も残らず奇跡的な生還を果たしたのであった。
この事件が発生する寸前、彼女はある相手への年賀状にてアフリカロケの旨を書き、「ライオンに食べられないよう祈って下さい」とも添えていたという。また、帰国後にコルセットを付けて記者会見に臨んだ際は、「それでも動物が好き」とコメントをした。
彼女にとってこれらの出来事は、あまり触れたくない記憶として残っていた。だが後年、永六輔と共演をした際、「ゲストのライオンの餌です」と呼ばれて観客が大ウケし、彼女自身もこのフレーズを気に入ったそうだ。現在、運営中の彼女の公式ブログタイトルにて「ライオンの餌」という言葉が採用されている。
【文 黒蠍けいすけ】
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提供元・TOCANA
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