1950年から1956年にかけて製造され、絶えず改革されたスクーター「NSUランブレッタ」は、1956年に自社開発モデル「NSUプリマ」に
「ランブレッタ」は1950年代、メロディックなネーミングとラ・ドルチェ・ヴィータなセンスで有名なスクーターだった。1985年にアウディの子会社となった「NSU」の発明ではなく、イタリアのメーカー「イノチェンティ社」のデザインをベースにライセンス生産されたもので、当時は各国のメーカーにライセンスを販売していた。
1950年、ネッカーズルム工場は、その年の半ばにドイツ駐留米軍向け車両の修理を中止したため、解雇が相次いだ。NSUの経営陣は、工場の生産能力をフルに活用する方法を必死に探していたが、幸いにもすぐに解決策が見つかった。当時、ドイツでは原動機付きスクーターが流行しており、NSUはその流れに乗ったのだ。
ネッカーズルムに本拠を置くNSUはイノチェンティとライセンス契約を結び、1950年に「NSUランブレッタ」の製造を開始した。イタリアのライセンサー本社はミラノ郊外のランブラーテにあり、この地名が「ランブレッタ」の名前の由来でもあるという。
ランブレッタの製造期間中、NSUは2種類のバリエーションを発売した。1954年までは排気量123cc、最高速度70km/hのスクーター、そして1954年からは最高速度81km/hの150ccバージョンである。小型版の出力は4.5PSで、よりパワフルなランブレッタは6.2PSだった。
どちらのモデルも単気筒2ストロークエンジンを搭載。1950年から1956年の間に、両モデル合わせて約117,000台が製造された。スクーターのカラーは、ライムグリーン、ベージュ、ミディアムグレー、ライトグレーの4色だった。1956年にイノチェンティとのライセンス契約が予定通り終了すると、NSUはスクーターの製造を続けることを決定した。
こうして、ランブレッタは「NSUプリマ」となり、4種類のバリエーションが用意された。1964年にネッカーズルムでのスクーター生産が終了するまでに、合計16万台のプリマが製造された。これがネッカーズルムでのスクーター生産の終わりとなった。
文・CARSMEET WEB/提供元・CARSMEET WEB
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