黒坂岳央です。
最近、よく見る意見が「生成AIがあまりにも優秀なので知らないことを調べるのに使うべき。間違っている可能性の残る記事ばかりをググるのは時代遅れ」というものである。
この指摘は、本当だろうか?筆者は大学の研究者やシンクタンク、AI開発者やデータサイエンティストの勉強会やセミナー、書籍でよく学ぶようにしており、自分自身が毎日使い続けている立場だ。確かに、生成AIは優秀であり、多少ググる回数は減った。しかし、すべての調べ物を生成AIに置き換えることなどできないし、生成AIができないこともまだまだあると思っている。
AIをやたらと持ち上げる風潮だが、この手の主張に反論したい。
生成AI時代にググる理由「生成AIはハルシネーションリスクがある」という意見に対して、GoogleはDataGemma(データガンマ)を発表。これは端的にいえばAIが自らの回答をファクトチェックできるようにするものである。今後も進化が続けば、ハルシネーションという言葉自体が消えていく可能性はある。しかし、仮にそうだとしてもググる価値は揺るがない。
その最大の理由は生成AIは一般常識的で最大公約数的な情報を出す一方、突飛なアイデアは依然としてグーグル検索記事で発掘される事が多い。生成AIでも出せなくはないが、そのプロンプトを入力する必要があり、検索結果でスクール途中で目に飛び込んでくるような降臨の仕方はしない。
筆者は記事や動画で意見発信をしている立場ということもあり、常識的とされる考えに違和感を覚えたら一石を投じる意見を出すこともある。そんな時、生成AIではなくググって少数派の意見が参考になったり、様々な価値観を持ったライターの斬新な意見にハッとさせられることがある。
世の中に答えは1つではない。白か黒か?ではなく、あらゆる物事は少数派、多数派のグラデーションの濃淡で表現される。少なくとも現時点では、生成AIでそのような意見抽出をするのは困難だ。特に「自分の脳みその枠外」を知りたい時に依然として検索は強い。
生成AIとググるは使い分ける