【対談連載】和泉流狂言師 石井康太(上)

お笑い芸人から狂言師に転じたオールドルーキー――359人目(上)
(画像=『BCN+R』より 引用)

構成・文/小林茂樹
撮影/大星直輝
2024.8.9/東京都豊島区のよろづ舞台にて

週刊BCN 2024年10月14日付 vol.2033掲載

【東京・豊島区発】今回お邪魔したのは、豊島区の住宅街の中にある野村万蔵家の稽古場、よろづ舞台である。この稽古場の能舞台はとても美しく、おのずと引き締まった気持ちになる。でも今回の主役である石井康太さんは気さくで、私の素朴な質問にとても誠実に答えてくれた。能狂言の歴史はおよそ650年、そしてこの野村万蔵家も300年の歴史を刻んでいる。そうした奥深い伝統芸能の世界にあえて飛び込んだ石井さんの志はいかなるものか。じっくりとお話をうかがった。
(本紙主幹・奥田芳恵)

お笑い芸人から狂言師に転じたオールドルーキー――359人目(上)
(画像=2024.8.9/東京都豊島区のよろづ舞台にて,『BCN+R』より 引用)

狂言は日本で最も古い喜劇だ

芳恵 石井さんは、かつてお笑い芸人として活躍された後、狂言師に転身されたということですが、そこにはどんな経緯があったのでしょうか。

石井 私は19歳のときから、高校・大学の同級生の中村豪と「やるせなす」というお笑いのコンビを組んでいました。運が良くデビューして2、3年でバラエティーなどのテレビ番組に出させていただけるようになり、ドラマや舞台にも出演させていただきました。そんな中、いまから15年ほど前に狂言と出会いました。

芳恵 私たちにとって、そもそも狂言という古典芸能自体、なかなかなじみがないところがあります。

石井 そうですよね、言葉も難しいですし。正直に言うと、私も最初は、舞台の袖で見ていてもよくわかりませんでした。でも、狂言というのは、650年前に誕生した日本で一番古い喜劇なんですよ。コントのご先祖様と言われることもあります。

芳恵 日本で一番古い喜劇ですか……。

石井 私が最初に狂言に出会ったのは「現代狂言」という舞台でした。現在の私の師匠である九世野村万蔵先生とウッチャンナンチャンの南原清隆さんを中心に、古典の狂言と、狂言と現代のコントを掛け合わせた新作狂言を上演する内容で、その年1回のツアーに私も参加させていただいたのです。

芳恵 お笑い芸人としてのキャリアがあるにしても、いきなりそうした舞台に立てるものなのですか。

石井 もちろん、すり足や声の出し方などの基礎稽古を積んだ上で公演に臨むことになります。この公演には10年間出演させていただき、そのうち3、4回ほどは古典狂言にもチャレンジさせていただきました。

芳恵 そこで感じた狂言の魅力は、石井さんにとってはどんなものだったのでしょうか。

石井 お笑い芸人のときは、良くも悪くもノリと勢いでやっていたのですが、狂言にはきちんとした型があり、初めてそうしたものに触れて、とても新鮮でした。足袋を履いて装束を着させてもらうと、自分が日本人であることを意識させられ、そう感じること自体が意外でしたね。

芳恵 それまでに、狂言を見たことはなかったのですか。

石井 一度もないと思っていたのですが、このあいだ公演を見に来てくれた幼なじみから、中学生のとき、学校で狂言教室が開かれたはずだと言われました。まったく覚えていませんでした(笑)。

本気でやるんだったら
うちでやってみないか

芳恵 狂言のキャリアが15年というと、そろそろ中堅の域にさしかかってきたのでしょうか。

石井 いえいえ、プロの狂言師としては今年が1年目なんです。

芳恵 1年目ですか?!

石井 私が弟子入りしたのが44歳のとき、いまから5年前の2019年で、今年4月に能楽協会の会員になれました。ですからプロとしてはまだ1年生です。

芳恵 44歳での弟子入りということですが、どういう思いで踏み切られたのでしょうか。

石井 それまでは、お笑い芸人としてバラエティー番組の海外ロケで30カ国以上を訪問させてもらったり、ドラマや舞台にも出演させてもらったり、やりたかった仕事をたくさんさせていただいていたんですが、40歳前くらいからこれからどうしようかな~と思い悩んでいたんですね。でも、舞台が好きで、お客さんの前に立ち続けたいという思いはずっとあったんです。

 そんなとき、公演の打ち上げの場で、「本気でやるんだったら、うちでやってみないか」と、万蔵先生から声をかけていただいたんです。

芳恵 それは光栄なお話なのでしょうが、同時に大きな決断と覚悟が必要ですね。

石井 そんな声をかけられるなんて思いもしませんでしたし、伝統芸能の世界に入るということは、いろいろな意味で怖かったですね。先輩にいじめられるんじゃないかとか(笑)。ですから、それから2週間は人生で一番真剣に考えました。

 師匠の野村万蔵先生は私より10歳上で、そのお父様である人間国宝の野村萬先生は当時89歳。89歳になられても現役で能舞台に上がられていて、ガンガン笑いをとっていることに衝撃を受けました。そして、94歳のいまも現役を続けていらっしゃいます。

芳恵 それはすばらしいですね。

石井 当時、私の息子が小学2年生で、何かを頑張っている親父の背中を見せてやりたいなという思いもありました。これから10年間くらい頑張ってみたら少しはかたちになるかな、とざっくり思ったのと、なにより、10年後の自分を想像したときにワクワクしたので、思い切ってこの世界に飛び込む決断をしました。

芳恵 ついに大きな決断をしたのですね。

石井 ところが、意を決して万蔵先生にお会いし「2週間前のお話なんですが……」と切り出したら、「ん? なんだっけ?」と。打ち上げで結構酒を飲まれていて、覚えてなかったんですよ。

 でも、さんざん悩んで決めたことですからこちらも後には引けません。「弟子入りさせてください」とお願いしたら、「本当に?」と逆に驚かれてしまいました。ひどい話でしょ(笑)。

芳恵 石井さんはもちろん真剣なのでしょうが、はたから見ると、まるでコントみたいなやり取りですね。

石井 ほんとですよね。この話は一生ネタにさせていただきますと、万蔵先生にはお伝えしています(笑)。それまで万蔵先生とは年の離れた友だちのような関係だったのですが、こうしてお前と酒を飲むのもこれが最後だな、としみじみ言われて、弟子になるというのはそういうものなんだなと身が引き締まりましたね。

 それから「紋付をつくっておけよ」と言われたのですが、「はい、わかりました! ところで先生、紋付ってなんですか?」って。後から調べたらすぐわかりましたが、それくらい何にも知らなかったんです。まあでも、私もこんな感じだったから、44歳から思い切って伝統芸能の世界に飛び込めたのかもしれませんね。

芳恵 弟子入りすると、それまでとは関係性が変わるのですね。

石井 そうですね。師匠がどうして私に声をかけてくださったのか考えてみると、10年間参加してきた現代狂言の稽古場で、私が稽古好きであることを見抜いていたからかもしれません。

 お笑い芸人のときは、一生懸命稽古することはちょっとダサいと思われる空気があったんです。でも狂言の世界では、稽古をすればするほどよいわけで、そういうことからもここは自分がいる場所だと思いました。入門してまだ5年ですが、この世界に入ったことについてこれまで一度も後悔したことはありません。(つづく)

稽古用の足袋と野村万蔵家の浴衣

 石井さんが大切にしている足袋と浴衣。舞台に足を踏み入れるときは、誰もが必ず足袋に履き替えなければならない。そして、石井さんが初めて仕立てた野村万蔵家の萬の文字を略した紋が入った浴衣は、プロ狂言師になられた証しのように思える。ステッカーとクリアファイルのイラストは、漫画家の東村アキコさんによるもの。かわいい絵柄で狂言の世界にいざなう。

お笑い芸人から狂言師に転じたオールドルーキー――359人目(上)
(画像=『BCN+R』より 引用)

心にく人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

提供元・BCN+R

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