ブラインドから漏れる明かりでかすかに照らされた薄暗く汚い部屋の中で、不潔なマットレスの上に横たわる“骸骨”。捜査官は、その人物の死を確信し、近づいていくが、顔を覗き込むと突如“死体”が目を覚まし、観客は悲鳴をあげる。これは映画『セブン』で最も凄惨なシーンの1つである。死体だと思われた人物は1年かけ計画的に衰弱させられ、廃人にされた被害者だったのだ。
フィクションだからこそ演出できた最高のホラーと言いたいところだが、実はこれと同じ光景を20世紀フランスの警察官は目の当たりにしたのである。全世界に衝撃を与えた陰惨な事件をご紹介したい。
その美貌で1870年代のパリ社交界を魅了したブランシュ・モニエという女性がいた。裕福で尊敬される保守的なブルジョワ家庭に生まれた貴族でもあるブランシュは、多くの求婚者を惹きつけたが、彼女の心を射止めたのは、とある年上の弁護士であった。2人は結婚を約束し合うまでの仲になっていたが、ブランシュの母ルイーズは、“文無し”の貧乏弁護士と娘が交際するのをよく思わず、別れさせようと躍起になっていたという。
そうした中、25歳になったブランシュが失踪する事件が起こる。それまであらゆるパーティーに出席していた上流社会の花が突然姿を見せなくなったことに、人々は戸惑ったが、しばらくして母ルイーズと弟のマルセルはブランシュが亡くなったと発表した。この訃報に特に婚約者である男性は悲しみに暮れ、そのままブランシュの姿を目にすることなく1885年に亡くなってしまったという。
時が経つに連れ、社交界もブランシュの存在を忘れていったが、ブランシュの死が発表されてから25年後の1901年に、パリ司法長官に宛てた匿名の手紙が届く。薄い文字で走り書きされた手紙を読み解くと、衝撃的な事件が告発されていたのだ。
「司法長官殿: 大変重大な事件が発生していることを知らせいたします。高齢の未婚女性がモニエ夫人の家に監禁されています。過去25年間、彼女は半ば飢え死にしそうな状態で、腐敗したゴミの上、つまり彼女自身の排泄物の中で暮らしています」
匿名である上、にわかに信じがたい話であったが、警察はこれを真剣に受け止め、モニエ邸に向かった。事前に電話した際には誰も出なかったそうだが、屋内に人の気配があったため、警察官は強引に屋内に入ったという。中には母ルイーズが落ち着いた様子でリビングルームに座っていたが、警察官とは口を聞こうとしなかった。家中を捜索しても手紙にあったような人物は見つからなかったが、屋根裏部屋が残されていることに1人の警察官が気づいたという。
その時のことを当時の巡査はこう振り返っている。
「私たちはすぐに開口部の窓を開けるよう命令しましたが、これが大変でした。入り口にかけられた古くて暗いカーテンからは、シャワーのように大量の埃が落ち、シャッターを開けるには蝶番から取り外さなければならなかったのです」
屋根裏部屋にはしばらく誰も立ち入っていないことが察せられるが、そこには恐怖のホラーショーが待ち構えていた。まず警察官たちを襲ったのは、腐った肉や人間の糞尿が混じった強烈な腐敗臭だった。そこは人間の排泄物、腐った食べ物、ゴミ、無数のゴキブリがごちゃ混ぜになったような状態だったという。
そして、警察官たちが部屋の奥に視線を送ると、腐った藁のマットレスの上に、痩せて衰弱した女性が横たわっているのが見えた。彼らは最初、この人物が死んでいると思ったが、近づいてみてみると、彼女は震え、息を呑み、悪夢から出てきた悪鬼のように彼らに振り向くと、すぐさま汚い毛布の下に隠れたという。この人物は、かつてその美貌で社交界を魅了したブランシュ・モニエ、その人だったのである。
ブランシュを発見した警察官はその時の様子をこう語っている。
「その不幸な女性は腐った藁のマットレスに全裸で横たわっていました。その周りには排泄物、肉、野菜、魚、腐ったパンが積み重なり分厚い皮のようになっていました。カキの殻やマットレスの上を走り回る虫もみました。部屋から発せられる臭いは腐敗臭に満ちており、息もできないほどで、それ以上捜索を続行することは不可能でした」
この時、ブランシュは50歳、体重はわずか25kgほどになっていたという。すぐに母ルイーズと弟のマルセルは逮捕され、恐ろしい話が明るみに出た。25年前、ルイーズはブランシュが婚約者と別れることに全力を挙げたが、全て失敗し、最終的に屋根裏部屋に娘を閉じ込めるという極端な方法をとったという。監禁中、ブランシュには食べ物の切れ端だけが与えられ、一歩も外に出さなかったそうだ。
事件発覚後、ルイーズは裁判にかけられる前に、自宅前に押し寄せた怒り狂う群衆を見た15日後に急死、マルセルは精神障害と鑑定され、また当時の法律に「救助の義務」が存在しなかったため、無罪放免となった。
その間にブランシュは肉体的な健康を取り戻したが、精神状態は回復しなかった。監禁中に統合失調症、コプロフィリア(糞便愛好症)、神経性食欲不振、認知能力の低下により、精神異常者と見なされ、1913年に亡くなるまで精神障害者施設で残りの日々を過ごしたという。
この事件をもとにした作家アンドレ・ジッドの小説『La Séquestrée de Poitiers(ポワレの監禁女性)』(1930年)は、のちに『狂気の歴史』、『監獄の誕生』を執筆することになる若きフーコーに大きな影響を与えたと言われている。
参考:「Mysterious Universe」、ほか
※当記事は2010年の記事を再編集して掲載しています。
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提供元・TOCANA
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