聖職者が未成年者に性犯罪を繰り返していた時、バチカンを含む教会指導者は事件の発覚を恐れて性犯罪を犯した聖職者を人事異動して信者たちの目に触れないようにしたり、事件を隠蔽してきた。

ジャニー喜多川性加害事件と教会聖職者の性犯罪の酷似点をまとめる。①事件の舞台が大手芸能プロダクション事務所やカトリック教会関連施設といった閉鎖的な社会空間で発生したこと、②被害者は未成年者の男の子たちに集中③上司(バチカン、教会指導者、ジャニー喜多川)からパワハラ・セクハラを受けてきた。そのため、被害者は事件を外部に告白できない状況下にあった一方、関係者は事件の発覚を抑えるために隠蔽に走ったことなどだ。

被害者が事件を告白すると、一挙に沈黙の壁が崩れ、事件は次から次と暴露されてきた。事件を薄々知りながら、沈黙してきた関係者、メディア関係者も事件を報道しだした。そして、有識者による独立調査委員会が設置され、報告書が作成され、被害者への補償問題が出てきたわけだ。

ちなみに、アメリカでは教会での虐待に関する多くの訴訟が起こっている。性的暴力の被害者が教区に対して損害賠償を求めて訴えている。例えば、サンフランシスコ大司教区では訴訟件数は500件以上のため、損害賠償額は巨額となり、教会は破産の危機に直面している。ジャニー喜多川性加害の犠牲者数が最終的に何人か不明だが、被害者の精神的ケアと共に、損害賠償問題は今後の大きなテーマとなるだろう。

ジャニー喜多川とカトリック教会聖職者が犯した犯罪は性犯罪だ。それも児童を対象とした性的虐待事件だ。加害者の異常な性向を事前にキャッチすることは容易ではない。ましてや、被害者が未成年者となれば猶更だ。加害者が既に死去し、事件そのものが時効となっている場合、事件発覚後の対応は一層困難となることが予想される。

いずれにしても、性犯罪を犯す人間はジャニー喜多川やカトリック教会聖職者だけではない。両事件は特殊な閉鎖的な団体、組織で起きたものだが、性犯罪は社会のどこにでも起きている。その意味で、両者の事件からも教訓をくみ取ることができる。他人事ではなく、私たちが直面している問題として考えることができれば、今後の危機管理に役立つだろう。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年9月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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