江戸時代までなかった夫婦同姓の制度は、明治期に家父長国家を確立し、個人を家に組み込む装置だった。ここでは社会の単位は個人ではなく家であり、家督を相続するのは長男であり、女性はそれに従属することを求められたのだ。

戦前の「国体」を復活しようとする保守派

このように自民党の自称保守派が守ろうとしているのは、日本古来の伝統ではなく、家族の一体感でもない。彼らが「戦後レジーム」を否定して復活しようとしているのは、戦前の「国体」や「家」である。

明治国家の最大の目的は、帝国主義戦争に生き残ることで、このために徳川300年の平和に慣れた国民を戦争に動員する必要があった。西洋には君主を超えた神の権威があるが、明治になってかつぎ出された天皇にはそういう重みがなかったので、国体という概念がつくられ、国家神道という宗教が創作された。

明治政府の実態は藩閥政治だったが、それを隠して国民を動員するイデオロギー装置が国体だった。そこでは江戸時代のように人々は藩主の私的な支配に従属するのではなく、臣民として天皇の下に位置づけられ、みずから戦争に出陣する気概をもつ必要があった。

さすがに今どき国体とか臣民とは言いにくいので、保守派は「国力」とか「国柄」とか、やたらに国家を持ち出してナショナリズムをあおる。彼らは国民国家こそ西洋近代の生み出したフィクションであることを知らないのだろうか。

ナショナリズムは、日本のように組織化された宗教をもたない国で国民を統合するほとんど唯一の概念装置だが、主義主張ではなく感情である。それには理論がないので、ネトウヨでも共有できる。彼らも「在日が戸籍名ではなく通称を名乗るのは『在日特権』だ」というように、戸籍を差別の道具に使っている。

明治国家の戸籍は、天皇を頂点として日本人を本籍や続柄で序列化し、「朝鮮籍」を底辺とする差別の制度化だった。自民党もネトウヨも家父長主義を守ろうという点では同じであり、夫婦別姓をめぐるわけのわからない論争はそのなごりである。今回の総裁選を機に、こういう「古い自民党」を一掃すべきだ。