コスミンスキーをリッパーと特定した経緯
エドワーズ氏がコスミンスキーをリッパーと「確認」した過程は興味深い。1888年9月30日、ワトキンス巡査がリッパーの4番目の被害者であるキャサリン・エドウッズの遺体を発見した。彼女の頭はほぼ完全に切断され、鼻は切り裂かれていた。彼女はその夜2人目の被害者であった。
エドウッズが所有していた絹のショールは血に染まっていた。約120年後の2007年、ロンドン北部の実業家であるエドワーズ氏が、サフォーク州ベリー・セント・エドマンズのオークションでこのショールを偶然発見した。
興味を持ちつつも半信半疑だったエドワーズ氏は、ショールを購入した。驚いたことに、ショールは非常に良く保存されており、血液や精液と思われるシミが布地に残っていた。
後に明らかになったのは、エドウッズの遺体が検死所に運ばれる際、警察曹長エイモス・シンプソンがこのショールを妻ジェーンへの「贈り物」として持ち帰ったということだった。妻は一度も着用しなかったが、このショールは何世代にもわたって家族で保管され、最終的にシンプソン曹長の曾曾甥であるデビッド・メルヴィル=ヘイズによってオークションに出品された。
エドワーズ氏は、貧しいアルコール依存症の女性であったエドウッズが、花柄の精巧な絹のスカーフを所有していたことに驚いた。しかし、デザインと使用された染料は、当時のサンクトペテルブルクで生産されたものと一致していた。このことから、エドワーズ氏はこのショールが実はリッパー容疑者のコスミンスキーの持ち物だったのではないかと考えた。コスミンスキーはロシア帝国出身だったからだ。
エドワーズ氏は、コスミンスキーが現場にショールを置き忘れた可能性を考え、被害者と容疑者の遠縁の親戚の協力を得て、血液と精液のシミに対して長期にわたるDNA検査を行った。
驚くべきことに、血液のシミはエドウッズの直系の子孫と一致した。コスミンスキーの遺体の発掘申請は却下されたが、精液のシミのDNAはコスミンスキーの姉妹の子孫の一人と一致した。
エドワーズ氏によれば、これは1888年以来未解決だったジャック・ザ・リッパーの正体を決定的に証明するものだという。