知り合いの経営者はかなり年配の人が多いのだが、仕事はよくできるし頭も非常に良いのにあまり褒められた趣味でない人が少なくない。

子供、孫がいるのにマッチングアプリでパパ活に勤しんでいる人や、全身ブランドづくめでお金持ち自慢をやめられない人たちだ。本人から話を聞かされるたびに感じることは、「本人はそれを本当に望んでいるのだろうか?」という疑問である。

話を聞くとマッチングアプリで出会った女性と会話しても、ジェネレーションギャップでほとんど話が通じなかったり、こちらの話を真剣に聞いてもらえないという不満を言い始める。また、ブランド自慢をする社長は「周囲は見る目がなくてなかなか理解されない」と心情を吐露する。個人的にはそれがとても不思議で、「ストレスに感じるならさっさと止めればいい。世の中に楽しいことは他にいくらでもあるのに」と思ってしまう。

もしかしたら、本人は10代の頃に渇望して得られなかった欲求をただただ追い続けているだけなのかもしれない。こうした欲求開放の特徴は「きり」がないことだ。マッチングアプリにハマる経営者は奥さんにバレて離婚騒動になっても尚、会い続けているようだし、ブランド自慢も周囲から眉をひそめられていることを知ってもやめられない。頭では理性的に良くないと分かっていても取り憑かれたようにハマってやめられない。筆者はこの症状を「依存症のひとつではないか」という仮説を持つに至った。依存症ならこの行動に辻褄が合う。

自分も昔はつまらない見栄や自慢をしていた時期があったが、30代前半で完全に通り過ぎた今、当時どれだけ稚拙でくだらないことをしていたかをよく理解できるし、もう今後の人生で二度と見栄からの自慢をしない自信がある。これは我慢ではなく卒業だ。彼らと筆者の違いは「10代の頃に渇望していたか?」という点にあるかもしれない。それほどに若い頃の欲求の強さは尾を引くものなのだ。