水戸黄門こと徳川光圀と将軍綱吉の間のバトルは小説としても有名ですが、その中の生類憐みの令の話は非常に面白い例だと思います。綱吉が動物を大事にし、それらを捕まえ、殺してはいけないという令を発します。するといたるところに野犬をはじめ、さまざまな動物が氾濫します。民は将軍を「犬将軍」と呼ぶも将軍は世間で何が起きているか実態を知らず、一方の小役人は庶民が動物、虫一匹捕まえるだけでも仕打ちしたとされます。そこで黄門さまがそれを厳しく断ずるというのが小説です。実際にはちょっと盛りすぎの話だと思いますが、この綱吉と小役人の関係が今の習近平と共産党員の関係であり、庶民は理不尽なことで振り回されているという風に見えるのです。
以前、上海出身でカナダに移住されたビジネスマンと話をしていた時、「中国の人は政権を見ざる、語らず、関与せず」と明白に断言しました。これが一定のレベルでの中国の実態を示しているなら誰が何をしようと無関心主義で、暴発が時として起きる、しかし、それらは力づくで取り締まり、何事もなかったかのような状態にするのです。
綱吉の話で言えば街中にそんなに野犬がはびこっているのは一切知らず、小役人や家老はそれを上に一切報告せず、耳障りの良いことだけを伝えるのです。10歳の児童の殺人事件においても中国外務省のコメント、「同種の事件はどの国でも起こり得る」というのは非常に自己都合で保身的、かつ政治問題にさせないとする小役人の細工でしかないのです。なぜならば政府が謝罪する、全面的な対策をとるといったことは「お上」が決めることで小役人はそんな決定権もなければ謝る権利もないのです。
「謝罪する権利」とは共産党や政府の趣旨に基づくことであり、非を認めるかどうかは重要な決定事項であり下部組織では権利もないし、判断すらできないのであります。
私から見ると中国の政府機関は基本的にロボットであり、何を聞かれても想定範囲のことしか反応がない、これが実態であります。よって日本政府がどれだけ騒いでも馬耳東風になりやすいのです。