ロシアのプーチン大統領がウクライナに軍を侵攻させてから来月24日でまる2年目を迎える。短期間でキーウを制圧できると考えていたプーチン氏の予想に反し、ウクライナ軍との戦いは長期化してきた。戦争はロシアにとってもウクライナにとっても大きな人的、経済的損失をもたらしている。
ところで、このコラム欄でも紹介したが、近代哲学の基礎を築いたイマヌエル・カント(1724~1804年)は今年4月22日、生誕300年を迎えるが、世界各地でそれを祝う国際会議、シンポジウムが開催される予定だ。カントは300年前、プロシア(現ドイツ)のケーニヒスベルク市に生まれたが、同市は現在ロシア領土でカリーニングラードと呼ばれ、リトアニアとポーランドに挟まれたロシアの半飛び地だ。
プーチン大統領がウクライナ侵攻を始める前はカリーニングラードで2024年のカント生誕300年の記念会議を開催する予定だったが、ウクライナ戦争が勃発したことでロシア開催は難しくなった。何よりも「平和の哲学」と呼ばれるカント生誕祭をロシアで開くことはどうみても不都合というわけだ。
プーチン氏はウクライナに軍侵攻した理由として、「キーウ政府の非武装化、非ナチ化を実現するためだ」と強調してきた。
プーチン氏の精神的支え、ロシア正教会の最高指導者キリル1世はウクライナ戦争勃発後、プーチン大統領のウクライナ戦争を「形而上学的な闘争」と位置づけ、ロシア側を「善」、退廃文化の欧米側を「悪」とし、「善の悪への戦い」と解説してきた。同時に、キリル1世はウクライナとロシアが教会法に基づいて連携していると主張し、キーウは“エルサレム”だといい、「ロシア正教会はそこから誕生したのだから、その歴史的、精神的繋がりを捨て去ることはできない」と主張してきた。
プーチン大統領がウクライナに軍侵攻を命令した時、世界はロシアが侵略者(加害者)であり、ウクライナはその軍事行動の犠牲者だと素早く判断した。