本件は事実の摘示による名誉毀損ではなく、意見論評による名誉毀損の類型です。
この場合、意見論評が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合、その前提事実が重要な部分において真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り違法性を欠く、というのが判例です1
本判決での前提事実は呉座氏が以下の投稿をしたことであるとされ2、その内容が「あらゆる社会的弱者に対する長年の差別・ハラスメント」かどうかは裁判所は判断していませんし、それは判例の判断手法に則ったものです。この判断手法は後掲の平成16年の最高裁判例が明示しています。3
「呉座氏が当該投稿をXでしたこと」という意味の真実性はあるので(呉座側も事実関係を争わなかった)、「意見論評逸脱」があるかどうかを判断することになります。
その判断において、前提事実と意見論評の間の合理的関連性を要するのではないか?という分析が学者らによって行われており、本判決ではその理論を採用して「合理的関連性」の有無を検討しました。
上掲投稿の意味内容については以下で検討しているのでここでは割愛します。
呉座勇一vs日本歴史学協会名誉毀損訴訟で呉座敗訴「あらゆる社会的弱者に対する長年のハラスメント行為」の異常性 – 事実を整える
字面として言及しているから…は単なる関連性であり「合理的」な関連性ではないしかし、本裁判所の理屈は「字面として言及しているから合理的関連性がある」というものになっていました。究極的には当該属性を褒め称える投稿ですら「性差別・ハラスメント」という評価とその前提となる事実に「合理的関連性」があるということになってしまいます。
これは単なる「関連性」であって「合理的関連性」ではないでしょう。
最高裁判所第一小法廷平成16年7月15日平成15(受)1793民集 第58巻5号1615頁
意見ないし論評については,その内容の正当性や合理性を特に問うことなく,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,名誉毀損の不法行為が成立しないものとされているのは,意見ないし論評を表明する自由が民主主義社会に不可欠な表現の自由の根幹を構成するものであることを考慮し,これを手厚く保障する趣旨によるものである。
平成9年最高裁判決の事案における高裁判決が「当該意見をその基礎事実から推論することが不当,不合理なものとはいえないとき」という要件を挙げ,意見・論評の合理性を要求したのに対し,これとは異なる判断枠組を採用したことに加えて平成16年判決のこの判示があることにより、なにやら「最高裁は前提事実と意見論評の間の推論をすることを否定している」という理解があるようですが、よくよく読み込んでみると、最高裁はそんなことは言っていません。
意見論評の合理性・正当性(つまり、呉座の投稿は「あらゆる社会的弱者に対する差別・ハラスメント」と言えるのかという問題)を判断しないことは、前提事実と意見論評の間の合理的関連性の判定に関して何らかの推論をしないということではないはずです。
「あらゆる社会的弱者に対する長年の差別・ハラスメント」と「研究者の資質に欠ける」の距離は同じではないそもそも、「差別・ハラスメント」という言葉は単なる悪性評価ではなく、非常に踏み込んだ非難をする言葉です。
「差別」というのは憲法14条で禁止されている不合理な不利益取扱いが中心にあり、一般的にはそれを超えて対象者の属性への不合理な否定的評価全般を指します。
「ハラスメント」という言葉は一般的には何らかの閉鎖環境でのコミュニケーションにおいて行われる行為によって対象者の環境が害される行為という意味です。その字面からはまるで呉座氏が職場環境において誰かの就労環境を害する言動を行ったのか?と思わせる言葉であり、実態との乖離が著しい。インターネット上の言説についてもハラスメントであるという用語法をするようになっているのは内閣府の男女共同参画局のHPなどを見ると伺えますが、このような「言葉の意味のインフレ」は果たして正当化はともかく、未だ一般には浸透していない理解でしょう。日本歴史学協会がハラスメント防止宣言において非常に広範囲な定義をしていますが、それに従うべき理由はない。
いずれの場合でも「違憲・違法な行為である」という含みを持たせている言葉であって、「愚かだ」というような非難とは別次元のものです。
例えば、上掲の投稿から「呉座は愚かだ」「呉座は研究者としての資質に欠ける」という意見論評をする関連性の距離と、「あらゆる社会的弱者に対する長年の差別・ハラスメント」という意見論評をする関連性の距離は、同じではないでしょう。大きな隔たりがあります。
意見論評の類型の分類としては悪性評価・価値中立・良性評価という切り分けができるはずです。要は悪く言ってるか、良く言ってるか、どちらでもないか、というものです。意見論評の名誉毀損訴訟で問題になるのは悪性評価をしている主張だから、それを見なければならないはずです。
他にも価値評価不能=よくわからない、というものがあり得、それは仄めかしや比喩表現によって悪性評価なのか否かの判別が不能乃至困難である言説、というものも想定されます。ただ、よくわからない場合には表現の自由の保護の観点から悪性評価として扱って合理的関連性を認めるという処理でさしあたり問題が無いように思えます。
訴訟の結果に関係なく日歴協が支離滅裂な推論過程で呉座氏の投稿を「性差別・ハラスメント」と評したことが判明裁判所が如何なる理論を振りかざしたとしても、本件訴訟の展開によって、日歴協が支離滅裂な推論過程で呉座氏の投稿を「性差別・ハラスメント」と評したことが判明したと言えます。
この点の理解が広まることが表現の自由や職業選択の自由の保護に繋がるはずです
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1:最高裁判所第三小法廷判決 平成9年9月9日平成6(オ)978民集 第51巻8号3804頁
2:呉座の北村紗衣に対する言動は女性差別的なものであると言い得るものだが、裁判所は被告の日歴協の主張があったとしても「あらゆる社会的弱者に対する長年の差別・ハラスメント」という日歴協の声明の前提事実には北村紗衣に対する非難は含まれていないと判断している(判決文27頁16~20行)
3:最高裁判所第一小法廷平成16年7月15日平成15(受)1793民集 第58巻5号1615頁