1651年、当時の軍学者である由井正雪を筆頭とした徳川幕府転覆計画が発覚した。合戦が絶えて久しくなった頃、三代将軍徳川家光が死に四代将軍家綱が将軍となったこの年。各地から浪人が集められ、幕府に対する反乱が決起されようとしていた。あまりにも大規模な暴動になりかねないものであったが、直前に計画が密告されたことによって失敗に終わり、彼をはじめその一味は自害または処刑にて果てることとなった。この事件は、「慶安の変」または主謀者の名を取って「由井正雪の乱」とも呼ばれている。
由井正雪は、楠木正成の子孫である楠木正辰の下で門下生として熱心に軍学を学び、のちに批判と認められ神田に塾を開いた。名軍師、張良と諸葛亮の名を由来とした彼の塾「張孔堂」は、評判となって瞬く間に門人が集まり、諸大名の家臣や旗本も多くいたほどであったという。
彼の塾の門を叩いた多くは浪人たちであった。諸大名との付き合いもある彼の下へ行けば、任官先のあてを紹介されるかもしれないという思案からのものであり、その結果、彼の塾は3000人もの大所帯となった。武士として出世したいという野心を抱く者や、少ない収入に幕府へ不平不満を募らせる浪人たちで溢れ返ることとなったのだ。
こうした浪人たちの声に同情してか、それに応えるべく彼が企てた計画こそが幕府転覆という一大陰謀であったのだ。当時、将軍の地位に就いた四代目家綱は年齢にしてまだ11歳。重臣たちは幼い将軍を補佐しなければならず、これによって幕府の屋台骨が揺らぐのではないかと考えられたのだ。こうして、幕府転覆および浪人救済を掲げて計画が練られることとなった。
そのおおまかな計画は、仲間である丸橋忠弥がまず幕府の火薬庫を爆発させて江戸城の焼き討ちをし、同時に江戸各所に火を放つ。これを鎮めようと派遣される幕府高官や旗本を手当たり次第に討ち取っていき家綱を誘拐する。さらに、由井正雪が京都で、金井半兵衛が大坂でそれぞれ決起し、それに乗じて天皇も連れ出し、討幕の勅命を直接得ることで幕府の味方となるものを朝敵と見なし、天かに決起を呼びかけ大勝利をおさめようというものである。
かなり無理がある計画ではないかと思われた方も多いだろうが、その感覚は正常であると見てよいだろう。この計画は大規模である反面、あまりにも杜撰極まりないものであった。こういった陰謀は、重臣に味方を潜り込ませて内部から少しずつ工作を図るものではないかと素人でも思いつくことであるが、そうした形跡は見られず、ただただ表面的な暴動と激突といった具合である。
由井正雪が計画のために江戸から駿府へ向かったその頃、はじめに計画していた火薬庫爆破の担当である丸橋が密告によって捕縛されてしまった。その事情を全く知らないまま駿府に到着し仲間の到着を待っていた由井正雪であるが、江戸ではすでに噂も立って大きな騒ぎとなっていた。そして、すぐに彼の居る宿も知られてしまった。
宿を囲まれた彼は最初、「我々は紀州大納言・徳川頼宜の家臣である」と名乗り、役人たちを惑わせた。だが結果として彼の素性が江戸から伝わったことで主謀者であるとの確信に至り、役人たちは宿へ踏み込むこととなった。彼は観念したのか支度をするといって奥の部屋に入り、そして自決するに至った。大坂で待機していた金井も彼の自決の一報を知って天王寺にて自害し、結果計画に加担した中心人物たちすべての処刑・自害によって幕府転覆計画事件は終結することとなった。
ただ、この計画はとうに幕府に知られていたとも言われている。それでも、即座に由井正雪が捉えられなかったのは、幕府にとっては目の上のたんこぶでもあった紀州藩藩主・徳川頼宜がこの陰謀に加担しているとの可能性を見極めるためであったとされている。つまり、これによって頼宜失脚を狙っていたために、由井正雪を泳がせていたのではないかというのである。
軍学者というには、あまりにも無謀かつ杜撰な由井正雪の計画であるが、彼のもう一つの目的であった浪人救済については彼の望む形であったかは別として、見直されることになったという。由井正雪は、忠義に篤く、ゲリラ戦を得意としていた天才軍略家の楠木正成に憧れ、楠木正雪と名乗っていたこともあったようである。この陰謀は、由井正雪が楠木正成のような英雄を目指し描いた壮大なスケッチであったのかもしれない。
文＝ナオキ・コムロ（ミステリーニュースステーションATLAS編集部）
提供元・TOCANA
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