次に人々を知ることも大事でした。今のようにSNSはない時代ですから何か集まりがあれば積極的に参加することで情報を得ると同時に自分の名を売って歩く、そんな感じでした。

私のここまでのバンクーバーライフ32年は確かに仕事中心だったのですが、今もし仕事を辞めたら日本に帰るか、と言われればNOです。理由は人々との関係が濃すぎず薄すぎない「ほどほど具合」があること。環境もよいです。緑に覆われ、山歩きしたければ車で1時間範囲には一生かけても全部踏破できないほどのトレイルコースがあります。自転車道は整備されています。それ以上に街中に様々な人種が混ざっていることでいろいろな人と接点を持つことが刺激になるのです。

エレベーターで乗り合わせた時、エレベータートークというのがあります。わずか10秒足らずの間に一コマしゃべるのです。さすが会社のエレベーターの時は少ないですが、住宅のエレベーターで乗り合わせれば4-5割の確率で何かしゃべっています。実はこの癖、当地に来たばかりの時にある気づきがあったのです。知らない人と2人で乗り合わせた場合、沈黙のまま待つのは異様に緊張するのだと。私は気にならないのですが、白人の方はしゃべることで心の壁を取り去り、相手を認知するというプロセスをとることに気がついたのです。

それからは私はしゃべることで双方の理解につながるならエレベーター以外でもしゃべることに徹するべき、と思ったのです。それでもかつて10年ぐらい仕事で付き合った白人のカウンターパートが私のことを「気持ちの中に何か隠し持っている」とずっと疑っていました。双方が手の内を見せるというのは心の中を開示し、ウソ偽りない 「I swear」の世界なのでしょう。

社会のルールがしっかりし、人々がそれに準拠し、多くの人が前向きに生きていこうとする社会にいると自分が明るくなるのです。それと多くの人はハッピーのオーラがあります。笑い、はつらつとし、声をかけあう社会は日本ではなかなか見かけなくなりました。道端で人が倒れていても「関わりたくない」と素通りする社会は異質な感じがします。