1959年にソ連領ウラル山脈で、スノートレッキング中の9人が謎の死を遂げた「ディアトロフ事件」は、60年以上たった今でも人々の耳目を集めている。一方で、アメリカにも「ディアトロフ事件」に匹敵する不可解な事件があるのをご存じだろうか。
■事件の始まり
1978年2月24日、一行は何が自分たちに待ち受けているのか、全く気付いていなかった。
カリフォルニア州ユバシティ出身のゲイリー・マティアス(25歳)、ジャック・マドルーガ(30歳)、ジャッキー・ヒュイット(24歳)、テオドール・ワイハー(32歳)、ウィリアム・スターリン(29歳)の男性5人は、スポーツ、特にバスケットボールの大ファンだった。彼らはマドルーガの自慢の車――69年型マーキュリー・モンテゴに乗りこみ、ユバシティから約80キロの所にある、カリフォルニア州立大学チコ校の大学バスケットボールチームの試合を観戦しに出発した。
彼らには軽・中程度の精神障害があり、精神障害者のためのデイプログラムで知り合った間柄であった。彼らの日常生活は何ら問題なく、マティアスはごく軽い精神的遅滞、マドルーガは統合失調症だったが、2人とも軍隊経験があり、車の運転もできた。
一行の観戦した試合はその夜10時に終了し、彼らは高速道路に乗る前に、近くのガソリンスタンドで軽食を購入した。ガソリンスタンドの店員は、彼らが閉店間際に現れたせいで帰宅時間が遅れたので、一行についてはっきりとした記憶があった。以上が確認可能な、彼らの最後の足取りである。
彼ら自身も翌日、属している地元のチームでバスケットボールの試合があり、ユニフォームや靴を用意して本番を楽しみにしていたという。そんな彼らがその当日の朝になっても家に戻らなかったため、家族は心配し、郡保安官局に連絡した。その後、地元当局が彼らが通ったはずの道路を捜索したが、もう彼ら5人も車も見つからなかった。
■消えた5人
3日後の2月28日、パークレンジャーが、遠く離れたプラマス国有林の山々の曲がりくねった未舗装の道路で、マドルーガの車を見つけた。奇妙なことに、その道は彼らの帰り道とは全くかけ離れていた。季節は真冬だったが、彼らはコートも着ないで出かけており、なぜ雪に覆われたプラマス国有公園に立ち入ったのか、誰にもわからなかった。
ほかにも腑に落ちない点は多々あった。
当局がその場所に到着した時、車のドアは施錠されておらず、窓は開けっぱなしで、タイヤは雪に埋もれており、どうやら車が雪で立ち往生した形跡が見て取れた。しかし、車は5人の男性が力を合わせれば、雪から押し出すことは容易であったし、自動車自体にはこれといった損傷もなかった。車の中には、ガソリンスタンドで買ったジャンクフードの包装紙とカリフォルニア州の地図があったが、男性たちは跡形もなく消えていた。
当局がさらなる捜索を行うためには、雪解けを待つしかなかったが、その間に、いくつかの不思議な情報が提供された。
ジョゼフ・ショ-ンズという男性が、5人の失踪と時を同じくしてスキーロッジを目指し運転していたが、夕方5時半くらいから真夜中まで、彼の車も雪の中で立ち往生していたと供述したのだ。
ショーンズは突如、持病の心臓発作の兆候を感じて、車の中で助けを待っていた。彼が車内にいた時、2台の車――そのうちの1台はピックアップトラックのように見えた――が、彼の車のすぐ後ろに停車した。そして、その車から複数の人間が降りて、懐中電灯をつけて辺りを歩き回った。人々は助けを求めるショーンズの声を聞くと、懐中電灯を消して立ち去った。奇妙なことに、その人々の一人は、赤ちゃんを抱えている女性であるように見えたという。
もう1つの手がかりは、乗り捨てられた車から約50キロ離れた所にあるブラウンズビルという小さな町の店員からもたらされた。その店員は警察のチラシで見た4人の男性が、行方不明になった2日後に赤いピックアップトラックで、彼女の店に立ち寄ったと証言した。そしてヒュイットとスターリンと見られる男たちは立ち去る前に電話ボックスを使用したと述べた。
しかし、いずれも事件の確固たる手がかりにはならず、可能性のある証拠は雪の中に埋もれていると考えられ、この時点で警察は春を待つしかないと判断したのだ。
■さらなる謎を呼ぶ遺体を発見
6月になると、標高の高い山岳地帯でやっと雪が解け出し、2台のモーターバイクがその地域を通過したところ、窓が壊れたキャンピングトレーラーを見つけた。それはマドルーガの車が乗り捨てられた場所から、わずか30キロの位置であった。
バイクの男性がそのトレーラーの中に入ってみると、凍るような寒さの中にワイハーの遺体があった。遺体は服を着ていたが、靴は履いておらず、靴は室内のどこにも見つからなかった。ベッドに横たわっていた彼は、人の手によるものと思われる8枚もの白いシーツで覆われていた。
遺体は部分的に凍っており、彼の足はひどい凍傷でほとんど壊疽していた。しかしトレーラー内にはマッチや暖炉があったことを考えると奇妙な現場であった。暖炉は火がつけられた形跡はなく、近くにはプロパンガスのボンベまであった。「彼らがしなければならなかったことはただ、そのガスのスイッチをオンにすることでした」と現場検証をした警部補は話している。
さらに不思議なのは、ワイハーのひげはかなり伸びていて、3カ月ほどはそのトレーラーで生存していたことを示唆していた。そして、とりわけ奇妙なことは、彼の死因であった。死因は餓死と凍死で、もともと90キロあった彼の体重は、半分の45キロになっていたのだ。
しかし、そのトレーラーのあちこちには軍用缶詰が置いてあり、そのうちの幾つかは半分だけが食べられていた。またその他にも、およそ1年分の手付かずの缶詰と乾燥食品が備蓄してあったので、飢え死にする方がむしろ不可能な環境であった。
翌日、マドルーガとスターリンの遺体は、トレーラーから約12キロ離れた山林で発見された。マドルーガの死体は部分的に獣に食べられていた。その2日後、ヒュイットも骨だけになって、トレーラーの周りに散らばっているのが発見された。
検死官は、この男たちはおそらく低体温症で亡くなったと考えた。しかし、マティアスについては彼のテニスシューズがトレーラーの中で発見されただけで、集中的な捜索にもかかわらず遺体を発見できなかった。
■謎の数々
1.なぜ彼らは道をはずれて、国有林に踏みこんだのか?
遺族の話では、グループ内には誰もその地域に詳しい者はおらず、大雪の夜中にプラマス国有林に入り込むとは、何とも解せない行動であった。そして、なぜ故障もしていない大事な車を、施錠もせずに窓も開けっぱなしにして、雪の中に乗り捨てたのか。
また、車の状態も実に謎めいている。この車は重いアメリカ車で吊り下げ式のマフラーを備えており、かつ5人の男性がぎゅうぎゅうに乗って、低い車高で雪の山道を走り続けたのに、車の底部は無傷だった。
警察は、マドルーガが信じられないほど慎重に運転したか、道路を熟知していたか、または誰か道をよく知る者が運転を交代したと推測した。しかしマドルーガの兄は、弟は普段から絶対に他人には自分の車を運転させなかったし、土地勘もなかったと証言している。
- 赤いピックアップトラックと子どもを抱いた女性
目撃された赤いピックアップトラックと子どもを抱いた女性とは、いったい何者なのか?
彼らがこのようなルートを選んだ理由としては、誰かに誘導されたという推測もできるだろう。彼らは人を信じやすかったという証言もあり、彼らは「赤いピックアップトラックに乗った誰か」に騙されて、山道に連れてこられ、パニックに陥って、雪の中を徒歩で逃げたのかもしれない。または彼らは雪の中で何らかの理由で車のキーを紛失し、捜していた途中で迷ったのかもしれない。
- なぜトレーラーで凍死・餓死したのか?
5人のうち、少なくともマティアスとワイハーは、そのトレーラーに到達することができたと考えられるが、そこから起こったことも実に奇妙だ。なぜ、2人はトレーラーで暖房を入れようとしなかったのか、多くの食料に囲まれながら、どうやってワイハーは餓死したのか?
- 発見されなかったマティアスの遺体
発見されなかったマティアスだが、彼はその少し前から統合失調症の薬を飲んでいなかったといわれ、それが事件の原因ではないかとも考えられるという。しかし、マティアスの死体は獣に食べ尽くされてしまったということも十分に考えられる。
この事件は当時、さまざまな論争を呼び、「アメリカ版ディアトロフ事件」として伝説となった。1978年の冬の森で5人の男性に何が起こったのかは、誰にもわからない。そこに「ファウルプレイ(不正・事件性)」があるとするならば、その犯人が真相を語る日は来るのだろうか。
参考:「Mysterious Universe」、ほか
(文:三橋ココ)
※当記事は2019年の記事を再編集して掲載しています。
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提供元・TOCANA
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