おじろく・おばさとは、長野県下伊那郡の神原村(現在の天龍村の一部)にあたる地域にあった独自の家族制度だといわれている。16~17世紀ごろから存在していたとされ、水野都沚生・著『「おじろく・おばサ」の調査と研究』(1962)や近藤廉治・著『開放病棟─精神科医の苦闘』(1975)などの一連の論文や著作で知られるようになった。

おじろく・おばさ制度は、後継ぎとなる長男以外の兄弟姉妹が、養子や嫁いで家を出ることのない限り、戸主のために生涯働き続けるというものである。戸籍には「厄介」と書かれ、他の村人ともほぼ関わることをさせられなかったといわれている。記録によると、明治5年には人口2000人の村の中に190人、昭和40年代には3人のおじろく・おばさが存命だったようである。

おじろく・おばさと呼ばれる人たちの最大の特徴は、挨拶をされても反応を示さないといった無口さと無関心さ、そして喜怒哀楽が読み取れない無表情といった点だろう。先述した近藤氏が行なった本人たちへのインタビューによると、不平不満は特になく、楽しかった思い出も特にないというものだったという。精神科医であった近藤氏は、はじめ精神障害の可能性を考慮して臨んだそうだが、インタビューを通じて精神疾患などの障害として扱う程度のものではないと判断した。

このようなおじろく・おばさの制度は、家に閉じ込めただ働きさせる非人道的な地方の奇習・悪習としてたびたび取り上げられ、ブラック企業など現代的な問題と紐づけられて語られるケースがままある。彼らは成人後に突然人が変わったように無口となったという記録もあり、閉鎖的な環境による人格的な変質などは、興味深い点であるようにも思える。しかし、これらについては過分な誇張が含まれているという説もある。

たとえば、先述の水野氏の調査などによると、祭りの時には家を継がない者どうし集まって騒いだり、勤務態度を評価され遊郭に誘われて遊んだことがあったりと、他者との交流を一切禁じられていたような様子は感じられないように思える。その他、長男が家督を継ぐということ自体は珍しいことではなく、限られた地域の土地を減らさないために兄弟姉妹が家を持たないようにする事情は、土地柄として合理的ともとれる。

過去の出来事は、現在の価値観で判断されることがままある。また、おじろく・おばさはあまりにもその研究・調査記録が限られているため、憶測がまかり通る危うさが常に付きまとっている。現在すでに存在しないと言われるおじろく・おばさではあるが、センセーショナルなものとしてではなく、今一度その背景にある事情を精査して捉える必要があるだろう。

【本記事は「ミステリーニュースステーション・ATLAS(アトラス)」からの提供です】

文=にぅま(ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

提供元・TOCANA

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